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毎日感じたこと、時々は台湾のこと

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2007.02.17
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カテゴリ:日本と台湾、中国
本日(2月17日)は、旧暦の大晦日です。


私の故郷は、北関東の農村地帯の中の小都市です。

私の子供の頃は、農村では旧暦の正月が新暦よりも重要な祝いでした。

旧正月に、農家の親戚に『およばれ』に行ったことを覚えていました。

なぜ、覚えているかといえば、自分の家では、めったに食べられない豪華な料理が卓上に並ん
でいたからです。

その後は、農村でも新暦正月がほとんどになり、私の周辺から旧正月は消え去っていきました。

ベトナム戦争が激しかった1967年、『テト攻勢』がテレビ、新聞をにぎわしました。

私はそれを見て、「へえ、ベトナムにも旧正月があるんだ」と思ったものでした。


その私が、旧正月(台湾、中国の春節)と再び、出会ったのは、妻となる女性と知り合ってか
らです。

彼女の実家に始めて行ったのが、『過年(クオニエン)』(大晦日)でした。

あの当時は、台湾でも兄弟姉妹が多く、しかも彼女は兄、姉がいない長女でしたから、まだま
だ小さい、弟、妹がいました。

台湾、中国では、『過年』に、家族そろって、ごちそうを食べる習慣があります。

私と彼女、彼女の両親、弟妹を合わせて、10人以上の大宴会が彼女の家の2階の広間で行わ
れました。


その席上で、多少アルコールが入った義父は、日本の軍歌を歌い始めました。

義父は、太平洋戦争末期に、徴兵されたか志願したのかわかりませんが、『大日本帝国』の軍
人か軍属となりました。

終戦は、中国南部の海南島(現在は海南省)で迎えました。

もし、戦争が長引くか、フィリピンに送られていたならば、生きて台湾へ戻ってこられなかっ
たでしょう。

そうなったならば、私が妻と出会うこともなく、したがって息子がこの世に生をうけることも
ありませんでした。

義理の弟、妹は、現在は結婚して、息子、娘にめぐまれています。

彼らも、義父が台湾にもどらなければ、やはり、この世にうまれることはできませんでした。


義理の弟、妹たちは、軍歌を歌いだした父を見て、くすくす笑ったり、困った顔をしていました。

『また、始まった!』と思っていたのでしょう。

その義父が亡くなって10年近くになります。

なにかのきっかけで、義父を思い出すと、その義父は赤い顔をして、軍歌を歌っているのです。





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最終更新日  2007.02.17 21:06:06
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