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最近の成田空港の状況はわかりませんが、開港直後は京成電車の駅は空港からかなり離れており、
バスに乗り換えさせられ、そのバスはフェンスが張られたゲートを通過したりしました。 鉄条網らしきものが道路を横断している個所もありました。 開港直前と記憶していますが、管制塔が過激派に襲撃されて機器を破壊され、開港が延期になっ たことがありました。 警官が何人か亡くなっています。 これらは、他のさまざま問題も含めて『成田空港問題』というそうです。 13年前の1994年の今日、その『成田空港問題』解決の為の円卓会議で、国と反対派が学識 経験者による調停案を受入れました。 1966年、成田空港建設が決まってから、28年が経過していました。 1978年の開港からでも、16年がたっています。 こうまで長引いた原因はいろいろあるでしょうが、なんと言っても政府が安易に考えたことでしょう。 ある人は『ボタンの掛け違い』と評しています。 空港予定地には、いくつかの集落がありましたが、皮肉なことに、最も保守的な集落が、最後まで 抵抗したそうです。 『ボタンの掛け違い』は男女の間でも起こりえます。 男女の間であれば、影響する範囲は限られていますが、国家、政府のやることで、これが起ると、 深刻です。 学習能力を発揮して、少しは賢くなったのでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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