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4月も半ばを過ぎると、新入社員、新入生も新たな環境に慣れて、落ち着いてくるころです。
地方から東京へ来る新入社員、新入生は、同じ東京でも、住みたい地域、住みたくない地域があ るようです。 おおざっぱに分ければ、西部、南部は『住みたい』、東部、北部は『住みたくない』です。 実際に住んでみれば、それほどの差があるわけではなく、多くは『イメージ』に捕らわれている だけです。 私が住む区は『住みたい』に含まれています。 以前、地元の不動産業の担当者との話で、その担当者は「この地域の不動産業者は、若い単身者 がお得意様です」と語っていました。 昔は、単身者向けの住まいといえば、4畳半か6畳のアパートで、流し場はありましたが、トイ レは共同でした。 もちろん、風呂などはなく、近所の銭湯を利用していました。 もはや、通貨の単位で『銭』は使われていませんが、公衆浴場はいまだに『銭湯』です。 なぜか『円湯』とはいいません。 そういえば、所持金が無くて飲食することは『無銭飲食』であって、『無円飲食』ではありません。 江戸時代の日本では、通貨として金、銀、銭の『三貨』が使われていました。 金といえば、山吹色の小判です。 あの1枚が現在の通貨でいくらになるかは難しい問題です。 江戸時代でも物価変動はあり、さらに生活水準が現在とでは大きくちがっています。 よくいわれるのは『1両=10万円』です。 普通の腕の大工が1ヶ月に稼ぐ賃金が1両といわれています。 長屋に住む、夫婦と子どもの4人家族の生活費が10万円です。 といっても、現在のような月給制でなく、数回に分けて、しかも銀で受け取っていました。 それを銭に両替しなければ、日常生活の物品の購入はできません。 銀と銭の交換率は常に変動しています。 それによって、笑う人、泣く人、さまざまです。 現在の日本に住む外国人が、為替レートに一喜一憂すると同じです。 よく時代劇で、町人が貧乏な武士に向って、「おい、サンピン」と軽蔑をこめて呼ぶ場面があり ます。 『サンピン』とは、1年の給金が3両から来ているそうです。 つまり、年収30万円です。 商家の下働きの女性でも、もっと給金をとっていました。 現在の『ワーキング・プア』のご先祖さまです。 話が脱線しましたが、一般庶民には『銭』がなじみであったため、それが現在にも残っているの かも知れません。 ところで、「同情するなら、銭をくれ」というセリフ、あれはいつだったでしょう。 私が最後に銭湯を利用していたのが、いつまであったか記憶にありません。 でも、その当時を思い出すと、なぜか懐かしくなります。 『神田川』の世界ですね。 その当時ですが、いつも利用している銭湯が『臨時休業』でした。 さあ、そうなると、どうしても風呂に入りたくなりました。 やむをえず、場所だけは知っていた近くの銭湯へ行きました。 入口の戸を開けると、なんと女性の大群の姿が目に入ってきました。 いかなる姿であったかは、想像におまかせします。 私は一瞬驚き、すぐ戸を閉めました。 幸いにも、誰にも気がつかれませんでした。 そうです、男女の入口が、いつもの銭湯とは逆であったのです。 ドアには『男湯』『女湯』の文字が大きく書いてあったのですが、いつもの習慣が出てしまったのです。 女性が『男湯』に入っても問題にはなりませんが、その逆は犯罪となりうる恐れがあります。 そういえば、駅などの公共のトイレの掃除は、私が見た限りでは、ほとんどが女性です。 これなら、お互いに安心です。 先ほどの『女湯』の戸を開けた件は、あくまでも勘違いであり、意図したものではありません。 しかも、はるか昔の出来事であり、最近は銭湯には行っておりませんので、誤解なきよう願います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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