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毎日感じたこと、時々は台湾のこと

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2008.08.07
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カテゴリ:カテゴリ未分類
週に2度は食事に行く店の棚に見慣れぬ名前の酒が置いてありました。

その店の経営者夫婦は新潟出身で、その酒は長岡の地酒でした。

私が関心を持ったのは、酒の名前でなく、その脇に書いてあった創業年です。

『明和2年』と書いてありました。

江戸時代であることはたしかですが、はて西暦では? と悩んでしまいました。


元号には、縁起が演技がよい文字が使われます。

代表例に『明』があります。

新しい順にあげてみますと、『明治』『天明』『明和』『明暦』『明応』『文明』『明徳』です。

しかし、だからといって、世の中がいいことばかりではありませんでした。

『天明』といえば、飢饉を連想します。

『明暦』『明和』では、江戸の『三大大火』のうちの大火が起きています。

江戸時代の元号は、現代とちがって、『厄を除ける』『人心一新』などの理由で『改元』が頻繁に行われました。

『明和の大火』は明和9年に起きています。

それで、洒落っ気たっぷりの江戸っ子は『明和9年』を『迷惑年(めいわくねん)』と呼びました。

そのせいでしょうか、『明和』は9年まで、あとは『安永』に改元しています。



明和の9年間を西暦に変えてみると、1764年から1772年です。

したがって明和2年は、1765年であり、ヨーロッパではフランス革命の24年前、新大陸ではアメリカ独立の4年前です。

日本では田沼意次が老中となり、権勢を誇っていた時代でした。

田沼意次といえば、これまでは『賄賂政治家』といわれ、芝居、テレビ時代劇では吉良上野介につぐ悪役、嫌われ役でした。

しかし、1971年、NHK製作の『天下御免』では、山口崇が扮する平賀源内を支援する脇役で登場しましたが、それまでのイメージを完全に覆していました。



意次は、これまでの農業主体では日本は行き詰ると考え、商業への路線転換を考えました。

一説では、鎖国をやめて、外国との交易を自由にしようと考えていたようです。

いわば、80年後の開国を先取りしたのですが、意次の政策が成功していたならば、その後の日本の歴史は大きく変わったでしょう。


しかし、当時の天変地異の多発の責任をとらされ、失脚を余儀なくされました。

田沼政治との決別を宣言して登場したのが、松平定信、『暴れん坊将軍』吉宗の孫です。

定信は、いわゆる『寛政の改革』を始めます。

江戸市民は、当初は定信の改革を支持していましたが、やがて『痛み』ばかりを押し付けられると、そっぽを向き始めました。

『白河の清きに魚も住みかねて 、もとの濁りの田沼恋しき』と、狂歌で揶揄されてしまいます。


現在でもそうですが、一般国民は自分たちの生活が保証されれば、エライ人のことなど、どうでもいいのです。

改革のため、日常生活が脅かされれば、黙ってはいません。

エライ人たち! 忘れてはいかんざき。





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最終更新日  2008.08.07 23:10:17
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