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歴史上の大きな事件の呼び方には、その事件が起きた月日を名称につける場合があります。
最近では2000年のアメリカで起きた同時多発テロを『9・11』と呼んでいます。 日本では『2・26事件』『5・15事件』があります。 中国では月日による呼び方が多いのですが、その代表例が1931年(昭和6年)の『9・18事変』または『9・18』です。 日本での呼び名は『満州事変』です。 その発端となった南満州鉄道の線路爆破事件は『柳条湖事件』と呼ばれています。 以前は誤って『柳条溝事件』と呼ばれていました。 この事変は、日本と中国、それに関係するしないに関わらず、多くの人の運命を変えました。 その一人が当時の満州の実力者の張学良です。 張学良の父は張作霖で、蒋介石の国民党とは対立していましたが、日本軍の謀略で暗殺されました。 それを恨んだ張学良は蒋介石に投じました。 満州事変では「日本軍に抵抗するな」という蒋介石の命に従ったため、「不抵抗将軍」の汚名を着せられます。 蒋介石は日本軍よりも共産軍の脅威が重大であると認識していました。 先に中(共産軍)を鎮圧してから外(日本軍)に向かう方針でした。 父祖の地である満州から追い出された張学良は、その方針に不満でした。 そして『西安事変』(日本では西安事件)を起こして、蒋介石に『一致抗日』を約束させます。 しかし、張学良は逮捕され、1975年に蒋介石が死ぬまで軟禁状態におかれます。 1990年、突然にNHKの画面に張学良が映りました。 当時は89歳、おそらく大部分の日本人が「まだ生きていたのか」と思ったでしょう。 1937年に南京で逮捕されてから軟禁状態になり、国民党が共産党に敗れてからは台湾へ移ります。 ついに『父祖の地』満州には戻れませんでした。 2001年、ハワイで死去しました。 ちょうど100歳でした。 「まだ生きていたのか」といえば、蒋介石の妻である宋美齢も長生きをしました。 1981年、中国で公開された映画『西安事変』は、その名の通り西安事変を描いた歴史映画ですが、関係者の『そっくりさん』が登場しました。 張学良、蒋介石、毛澤東、周恩来、そして宋美齢です。 『西安事変』は未だに知られていない謎があります。 2003年、宋美齢が102歳または106歳で死去し、それを語れるものはいなくなりました。 (宋美齢の生年は諸説あります) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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