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江戸時代を背景にした時代小説では、斬り合いの場面が出てきます。
真剣ですから、双方が傷を負ったり、死にいたる場合があります。 映画、テレビの時代劇では主役が何十人も、バッタバッタと叩き切る場面がありますが、あれはひとつの型であり、現実には存在しません。 宮本武蔵ほどの剣豪でも、相手が二人で当時に切りかかられては防ぎきれないといわれています。 いかなる剣豪、剣客でも、こちらが無傷で勝てることは全くといってないそうです。 したがって彼らの体には傷跡が残っているはずですが、それは彼らには名誉の勲章なのでしょう。 現代でも、普通の生活をしていれば、擦り傷、切り傷をすることはあり、それが傷跡になります。 古の中国の偉人が『身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるはこれ、孝の始めなり』とおっしゃっています。 それでも擦り傷、切り傷の傷跡を『不孝』と考える人はいないでしょう。 では『入れ墨』はどうでしょうか。 嫌悪感を覚える、覚えないかに大別できると考えています。 江戸時代の刑罰には『入れ墨』をして釈放したり、遠島になった受刑者に『入れ墨』をしました。 一度入れ墨を入れられると、世間の目は冷たかったようです。 極論すれば、『入れ墨』に対する嫌悪感です。 魏志倭人伝には倭人が『鯨面・文身』という『入れ墨』をしていると記されています。 邪馬台国へ派遣された魏の使節の報告書がもとになって魏志倭人伝が書かれたといわれています。 倭人の風習が珍しいので魏の使節が書き留めたのかも知れません。 南方系の民族には『入れ墨』の習慣があるといわれています。 入れ墨に対して、『北方系は嫌悪感あり、南方系は嫌悪感なし』とは、極論も甚だしいと言われそうです。 北方系でも、アイヌ人は『入れ墨』の習慣があります。 本日の帰宅時、新宿から乗った電車内に『入れ墨』男が2名いました。 20歳代で、半袖のTシャツを着ており、『入れ墨』が見えました。 ただ乗車しているだけなら、私も不愉快ではないのですが、彼らは乗車ホーム側の入口にしゃがみこんでいたのです。 『入れ墨』と『しゃがみこみ』、最悪の結合、合体です。 その先入観で見ていますから、凶悪な人相に見えます。 礼儀、エチケット、マナーなど、かけらさえもなさそうです。 乗務員に知らせにホームへ降りると、男女二人の乗務員が入り口に来て、彼らに注意し始めました。 彼らは「わかった。わかった」と何度も言っていましたが、わかっているなら、最初からそのような行為はしないはずです。 本来なら私を含めた周囲の乗客が注意すべきですが、昨今のニュースを見れば、つい躊躇してしまいます。 私も「まだまだ長生きしなければならない」と自分自身を納得させてしまいました。 今日を私の命日にはしたくなのです。 最近は『入れ墨』を『タトー』というそうですが、それはことばによる『ごまかし』です。 政治家ではないのですから、ことばを変えても本質は変わりません。 最後に『アホ』な話をひとつ。 ある若い女性が、ある国へ行き、開放感から『入れ墨』をしました。 費用は5000円でした。 日本へ帰ってきて、後悔した彼女、医者へ行き、除去する費用を聞きました。 50万でしたとさ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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