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本日、恵比寿神社の近くの店で食事しました。
夫婦二人だけの小さな店です。 なにげなく、ご飯を見ると、これがなんと! 輝きがあり、ご飯粒が光っているのです。 口に入れてみると、なんともいえない甘みが広がります。 その店には今年の初めから行っていますが、このような経験は初めてです。 勘定をするときに、それを女将に話すと「新米を使っています。電気釜でなくガス釜で炊いています」との答えでした。 「あのご飯なら、おかずが無くても食べられます」と言おうとしましたが、それは呑み込んでしまいました。 「料理がうまくない」と受け取られる恐れがあったからです。 ご飯の輝きから『銀めし』または『銀しゃり』ということばを思い出しました。 私が小さい頃は、まだ貧しかったせいでしょうか、今ほどおかずが豊かではありませんでした。 麦の入らないご飯が大変なごちそうでした。 今から考えて見ると、なぜ『金めし』と言わなかったのか不思議です。 日本で格、レベルをあらわすのに『金銀銅』『松竹梅』を使います。 金は銀より、松は竹より格が上ですから、『新米』『炊きたて』『かまど炊き』のご飯は『金飯』にふさわしいのですが、なぜでしょう。 金と銀に関連して『沈黙は金、雄弁は銀』ということわざがあります。 これは、ヨーロッパのことわざの翻訳といわれています。 日本では『沈黙は雄弁より尊い』と解釈されています。 しかし、このことわざができた当時のヨーロッパは、金より銀の価値が高かったそうです。 民族、宗教、文化が複雑に入り混じっているヨーロッパでは『雄弁は沈黙より尊い』のでしょう。 なんとなく同質と思われている日本であれば、日本式の解釈も通用します。 しかし、いつの世でも、外交に携わる人たちが言うべきことを言わないと子孫に大きなツケを残すでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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