|
カテゴリ:カテゴリ未分類
33年前の1976年(昭和51年)7月27日、前の総理大臣・田中角栄が逮捕されました。
ロッキード事件に関連しての容疑です。 総理経験者の逮捕は田中角栄だけと思っていましたが、昭和電工事件で芦田均が逮捕されていました。 田中角栄について書くつもりでしたが、急に気が変りました。 伊藤博文から麻生太郎まで、59人が総理大臣に就任しています。 その中で、姓が「田中」である総理大臣がもう一人います。 1927年(昭和2年)4月20日から1929年(昭和4年)7月2日まで、総理大臣をつとめた田中義一(たなか・ぎいち)です。 田中義一は軍人出身です。 現役時代は一本気でしたが、有能であったそうです。 田中義一が総理大臣であった1928年(昭和3年)6月4日、「張作霖爆殺事件」が発生しました。 この事件は関東軍によって引き起こされたといわれています。 当時は「満州某重大事件」と呼ばれて、国民には詳細が知らされませんでした。 張作霖の息子が、張学良です。 当然ながら、張学良は日本を怨みます。 この張学良が、これ以後の日本と中国の歴史に大きく関係してきます。 この事件の処理に関して、田中義一は昭和天皇から、激しく叱責されました。 田中義一としては、天皇にウソは言えません、といって真実も言えません。 つまり、ノラリクラリ、、、次第にツジツマが合わなくなったのでしょう。 昭和天皇は田中義一に向って「お前の最初に言つたことと違ふぢやないか」といいます。 さらに側近の侍従長に、「田中の言ふことはちつとも判らぬ。再びきくことは自分は厭だ」とまで語りました。 これは、天皇から突きつけられた不信任です。 これを聞いた田中義一は涙を流して恐懼し、総辞職しました。 それが1929年(昭和4年)7月2日です。 よほど、天皇から叱責されたことが身にこたえたのかも知れません。 総辞職から3ヶ月後の9月29日早朝、急性の狭心症で帰らぬ人となりました。 現在の政界では、「まだまだ若い」といわれる64歳でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|