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正徳2年(1712年)9月11日、江戸幕府の勘定奉行・荻原重秀が新井白石の建言により罷免されました。
赤穂浪士の吉良邸討ち入りの11年後です。 勘定奉行は、現在の日本では、財務大臣、日本銀行総裁に相当する重要な役職です。 江戸幕府の財政は、四代将軍・家綱の時代までは、極めて裕福でゆとりがありました。 新技術により、金山、銀山の採掘が順調であり、それが幕府財政に貢献していました。 その当時の日本は、まさに『黄金の国・ジパング』であったのです。 しかし、五代将軍・綱吉の時代になると、金山、銀山が枯渇してきました。 さらに、綱吉は大規模な土木建築事業を、財政を考慮しないで進めました。 収入が減少しているのに、支出が増加しているため、幕府財政は、完全な赤字になりました。 江戸幕府の税制は、農業の収穫への課税が基本であり、商業取引の利益は課税対象ではありませんでした。 農業の生産性の大幅な向上が望めない以上、幕府、大名の財政赤字の解決策はありません。 ところが、財政赤字を解決する『禁じ手』ともいうべき方法がありました。 『貨幣改鋳』という方法です。 流通している金の含有量が多い貨幣を回収して、金の含有量を減らした貨幣を鋳造して流通させます。 この『改鋳』によって金の差額が発生します。 この差額は『出目(でめ)』と呼ばれて、すべて幕府の収入になります。 1回の改鋳で、『出目』が何百万両も発生します。 麻薬と同じで、一度その効果を味わうと止められなくなります。 関係者による『出目』の着服も発生しました。 貨幣の品質の悪化により、物価騰貴の原因になるという指摘もありました。 かつて『ニューメディア館構想は国立漫画喫茶だ』という非難がありました。 幕府による『貨幣改鋳』は『幕府の贋金作り』という非難が、当時もありました。 荻原重秀は、この『貨幣改鋳』をフルに活用して、幕府財政を救うとともに、自分の『ふところ』も救っていたといわれています。 これに対して、幕府の儒学者・新井白石は、六代将軍・家宣に何度も建言を行い、ついに罷免させたのです。 しかし、白石に財政赤字を解消する明確なプランはありませんでした。 将軍・家宣は『才ある者(荻原重秀)は徳がなく、徳ある者(新井白石)は才がない』と憂えたといわれています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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