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1890年(明治23年)11月25日、日本で初めて議会が招集されました。
これが第一回帝国議会で、同月29日に開会式が行なわれました。 明治初期の自由民権運動、国会開設運動を経て、大日本帝国憲法に基づいて、この年に開設されました。 当時の議会は衆議院と貴族院の二院で構成されました。 衆議院議員は国民の選挙で選ばれましたが、選挙権は財産、納税額により制限されていました。 制限なしの普通選挙は、1925年(大正14年)、加藤高明内閣で実現しました。 貴族院議員は皇族、華族議員と勅選議員、多額納税の議員で構成され、解散はありませんでした。 議会の召集・開会・閉会・停会・衆議院解散は天皇の大権に属していました。 初期の議会では、政府と衆議院が対立していましたが、やがて政府との提携が行われるようになりました。 『大正デモクラシー』により政党政治が行われるようになると、衆議院の立場が強まりました。 しかし、軍部などの勢力の台頭により、議院内閣制の存続が困難になりました。 1933年(昭和8年)2月26日、一部の軍隊の『クーデター』が発生しました。 これ以後、政党は軍部の恫喝に屈っしていきます。 1940年(昭和15年)、全政党が解散して大政翼賛会が成立しました。 もはや、議会は政府・軍部の要求を追認するだけの『翼賛議会』となり、『無用の長物』となってしまったのです。 ヨーロッパの歴史ある多くの都市の市庁舎の壁には、以下の文言を刻んであるそうです。 祖先が辛苦の末に手に入れし自由、子孫達よ、心して守るべし! 現在の日本の議会制度が日本人自身の手で獲得したものか、または『進駐軍』から与えられたものか、意見が分かれます。 もし、『進駐軍』からのプレゼントであれば、大切にしない理由がわかります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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