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毎日感じたこと、時々は台湾のこと

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2010.05.15
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カテゴリ:カテゴリ未分類
天保12年(1841年)5月15日、江戸幕府は、筆頭老中の水野忠邦の主導で、享保の改革、寛政の改革に続く三度目の改革に着手しました。

家康の幕府創設から238年、幕府の屋台骨には『ガタ』がきており、旗本、御家人の『タガ』は緩みきっていました。

その建て直しのため、最初の意気込みはすごかったのです。

しかし、あまりに性急な手段を取ったため、江戸市民ばかりでなく、武士階級にまで、反対の声が高くなり、わずか2年で挫折しました。



時代劇で人気がある『遠山の金さん』は、この改革当時の江戸北町奉行でした。

同僚ともいうべき、南町奉行の鳥居甲斐守忠耀(ただあき、又はただてる)は容赦のない江戸市中取り締まりを行いました。

それに対して、『遠山の金さん』は可能な限り、取締りを骨抜きにしました。

それが、いまだに人気のある要因かも知れません。

おそらく、鳥居甲斐守忠耀は江戸市民に嫌われ、憎悪された、唯一の町奉行でしょう。

江戸市民は、彼の本名と官職名をつなげて、『耀甲斐』つまり『妖怪』と呼んだほどです。



改革とは、難しいものです。

手ぬるくては、効果はあがりません。

厳しくすると、反対者ばかりが増えてしまいます。

いわゆる『総論賛成、各論反対』です。



そういえば、その様子は、ごく最近も目にしましたね。

改革の旗振り役の息子が、野党でがんばっています。





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最終更新日  2010.05.15 23:59:02
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