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建久元年(1198年)12月27日、源頼朝が相模川の『橋供養』に出席し、その帰途に落馬したといわれています。
これが原因でしょうか、翌年1月13日に死去しました。 享年53でした。 実際に落馬したかどうかについては、諸説あります。 『橋供養』についても諸説あります。 岡山県賀陽町史には「大水が出れば一夜にして橋が流れ、もう渡ることができない、人々は橋に対して霊性をみとめて供養したのであろう。」と記されています。 歴史年表では、『1192年、鎌倉幕府を創設』とされています。 『いいくに(1192年)作る』で記憶された皆様もおられるでしょう。 その『幕府創設』からわずか6年後です。 当時は『幕府』という用語がありませんでした。 したがって、『いいくに』が幕府創設であるかについては、これも諸説あります。 落馬が原因での死去であるならば、武家の『棟梁』にあるまじきことです。 頼朝を尊敬、崇拝していたといわれる徳川家康の死因は、『食中毒』とされています。 家康の死後、子孫は250年も繁栄しました。 しかし、頼朝の死後、源氏の直系は3代で滅びてしまいました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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