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1937年(昭和12年)5月6日、ドイツの飛行船ヒンデンブルク号がアメリカ合衆国ニュージャージー州レイクハースト空軍飛行場で爆発炎上しました。
ヒンデンブルク号の名前は、第一次世界大戦のドイツの軍人で、のちにドイツ共和国の大統領となったパウル・フォン・ヒンデンブルグからとっています。 まさに、当時のナチス・ドイツの国家威信をかけた飛行船でした。 飛行船は、第一次世界大戦では偵察、爆撃に使われました。 しかし、低速であったため、対空砲火、戦闘機の迎撃、そして悪天候での損失がありました。 飛行船には軟式と硬式があります。 軟式飛行船は、ガス袋そのものを船体としていたため、変形しやすくなり、高速飛行は不可能でした。 硬式飛行船はアルミニウム合金の多角形横材と縦通材で骨格をつくり、その中へガス袋を収めました。 このような構造をもつ硬式飛行船は、船体の外形を保持することができたため、軟式飛行船には不可能な高速飛行を可能にしました。 それにより、飛行船は実用的な空の輸送手段となったのです。 そして、飛行船による航空輸送を行なう会社ができました。 それが『ツェッペリン飛行船会社』で、1928年(昭和3年)、グラーフ・ツェッペリン(ツェッペリン伯爵)号を建造して、世界一周を行ないました。 日本(茨城県霞ヶ浦)を含めた世界各地に寄港し、各地を熱狂させました。 ヒンデンブルク号は、ドイツ・フランクフルトを出発し、2日半の大西洋横断飛行後、アメリカのニュージャージー州レイクハースト着陸の直前、尾翼付近が突如爆発しました。 炎上しながら墜落し、乗員・乗客97人中35人、地上の作業員1名が死亡しました。 このときの様子は写真、映像、ラジオ中継により記録されています。 現在でも事故直後の状況を知ることができます。 映画の一場面を思わせる迫力ある光景です。 この事故の原因は、74年後の現在も不明です。 これによって飛行船が航空輸送に活躍した短い時代は終わりました。 ツェッペリン飛行船会社は、改良した新型機を製造しましたが、アドルフ・ヒトラーの指示により解体されてしまいました。 事故原因が不明なことは、多くの仮説を生み出し、現在でもそれをもとにした著作、映画が作られています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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