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さらにあの京都。これも菅と同様、けったいな街である。
またまた、被災地の松を五山の送り火にすることを断ったという。 恩着せがましく被災地に松を送らせておいて、二度も断るとは何事ぞ。 京都では、「はやく帰れ」と言うことを「お茶づけ食べていきなはれ」と言う。 お茶席で、座敷の掛け軸を褒めちぎっておきながら、その家の玄関を出る前に は、必ず「もひとつでんなー」と悪口を言う。 東日本の被災地は汚れていて、京都だけは綺麗なのか。 京都で燃やせないほど危険な松ならば、被災地でも危険ではないか。 何故、その危険な松を被災地に送り返したのか。 そして、被災地で迎え火として燃やされるのを、危険だから辞めなさいと言わ なかったのか。 京都では燃やせないが、被災地は汚れているので燃やせるのか。 京都市長よ。 被災地の松を再度断るに際して、安易に「断腸の思い」と言うな。 偽善者か君は。 肉親を失った被災者に、断腸の思いをさせたのは京都ではないか。 そういえば、外国人から献金を受けていて辞任した菅内閣の閣僚も、この京都 の選出だった。 うんざりする。 この京都と比べて、被災地の悲しみもてる人々は、何と辛抱強く奥ゆかしいのか。 人々は、京都から送り返された松を迎え火として燃やしていた。 その炎を見つめる人々の頬に、涙が流れきらきらと光っていた。 引用元 メイル・マガジン「頂門の一針」 2347号 2011(平成23)年8月12日(金) 上記の引用文の作者は近畿比例ブロック選出の前衆議院議員です。 成田山新勝寺では、9月25日の「おたき上げ」で、被災地の松の木が震災で犠牲になった人たちの供養のために、焚かれます。 成田と京都のこの対応の違いは? 被災地との距離の違い? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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