|
カテゴリ:カテゴリ未分類
『万里の長城は月から見える唯一の建造物てある』、これは嘘、法螺である。
『万里の長城は北方民族からシナ本土を守るために作られた』、しかし、役には立たなかった。 17世紀半ば、山海関を開いて、それまでの敵、清軍を北京へ招き入れたのは漢族の将軍、呉三桂である。 なぜ開いたのか? これには諸説あり。 『清が明を滅ぼした』、これは厳密には違う。 明の正系を滅ぼしたのは、李自成の『順』である。 『順を滅ぼして、明の仇をとった。清は明から統治権を受け継いだ』、これが清の政治宣伝、プロパガンタである。 明の世系が滅亡後、各地に明の亡命政権が生まれた。 それを各個撃破した清の将軍の一人が呉三桂である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.11.06 09:03:33
コメント(0) | コメントを書く |