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1909(明治42)年10月26日、当時の満洲・ハルビンで伊藤博文が安重根に暗殺された。
その70年後の1979(昭和54)年、その日も同じ10月26日、韓国大統領・朴正煕がKCIA部長に射殺された。 朴正煕と聞いて思い出すのは、1973(昭和48)年8月8日の「金大中拉致事件」である。 当時は、「金大中=善」、「朴正煕=悪」であった。 私は、この事件は「朴正煕が指示した」と思っていた。 国際世論は朴政権を非難、韓国のイメージは急激に悪化した。 ところが、朴正煕は何も指示していなかった。 この報告を聞いた朴正煕は激怒したと言われている。 ところで、朴正煕は日本の士官学校を卒業し、満州国軍少尉に任官した。 朴正煕に限らず、韓国軍創立時の指導者の多くは、日本の軍隊で鍛えられている。 彼らがいなければ、朝鮮戦争で国土を守れただろうか。 朴正煕は日本の朝鮮半島統治(植民地支配に非ず)の「光の部分」については、肯定的に評価している。 この事を私が知ったのは、ごく最近である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014.10.26 13:45:45
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