カテゴリ:家族
朝から、昨年起こった電車事故のニュースをやっています。
関係者の皆さんにとって、きっと辛い1日になるでしょう。 もちろん日々の暮らしの中でも、辛さを感じる事は多々あるかとは思います。 でも、“この日”となると、思いは大きいのではないでょうか。 私にとっては、14年前の“この日”が記憶に刻み込まれています。 “この日”1本の電話があるまで、何も知らずいつもと同じ1日を過ごしていました。 当時交際中だった、元ダンナから夜電話がありました。 『あのさ、大変だね。大丈夫?』 唐突にそんな事を言われても全く理解できず、『何の事?』と聞き返した私。 『えっ?知らないの?ずっとニュースでやってるよ!』 慌ててTVをつけ、ニュースをやっていそうな番組を探しました。 間無しに事実を自分の目で確認した後、ゆた友2人に電話しました。 『見た?』 でも不思議な事に、2人ともまだ何も知らなかったのです。 私が事実を告げた時、2人とも同じ言葉を言いました。 『とうとう来たね。』 それは、私の思いと一緒でした。 前年の暮、ゆたさんのお母さんが突然亡くなった話を聞いた時は、大きなショックを受けました。 私はお会いした事はなかったのですが、友人の多くはお母さんと交流していましたし、訪ねて来るファンの子達をいつも暖かく迎えて下さるお母さんでした。 気前よくゆたさんの写真をあげてしまい、実家に戻って来たゆたさんがほとんど写真が無くなってしまったアルバムを見て、激怒したというエピソードも耳にしていました。 私の友人も、高校の学生服を着たゆたさんの写真を頂いていて、宝物にしていました。 お母さんの訃報を聞いた時も、前述の友人と話しました。 その時から“この日”が遠からずやって来るんじゃないかと、私も友人も思っていました。 ゆたさんとお母さんの結びつきを考えると、何だかそれは確固たる思いになり、果たして4ヵ月後の訪れた“この日”は、変な言い方ですが“とうとう”という言葉しか浮かびませんでした。 私達3人は、4ヶ月前から少しずつ心の整理がついていて、それぞれの周りの人達が心配するようなショックは受けていませんでした。 誤解を恐れず書くとすれば、今の世の中を生きて行くには、あまりにも壊れ易い心を持った息子を、お母さんが迎えに来たのではないか。 そんな気持ちでいっぱいでした。 私は、LIVEでしかゆたさんと触れ合う事は無かったし、しかもその最短距離はホールツアーで10列目、大阪球場のアリーナで12列目でした。 以前、ゆたさんの実家から2駅の所に住んでいて、その気になれば実家を訪ねる事も出来たでしょうが、1度も行った事はありませんでした。 実家を訪ねた友人達から色んな話を聞いても、全くその気にならなかったのです。 今でもそれを後悔する気もないし、ゆたさんとの深い繋がりがあった友人の事を『良かったね。』と思っても羨ましいと思う事はありません。 私は彼の歌が好きで、そこから感じた想い出があればいいと思っているから。 ただ、ゆたさんが旅立って5~6年経った頃から、ある1つの思いがあります。 もう青年と言われる年代を過ぎて、小さなライブハウスで弾き語りをしながら歌う、ゆたさんを観てみたかったと。 色んな柵から解き放たれた、ゆたさんに会ってみたかったと。 ゆたさん、そっちの住み心地はどう? こっちは、いつもに増して騒がしい日々だよ。 ゆたさんの身の回りにあったと“言われている物”が、高額でやり取りされてるよ。 チャリティーに使うんだって。 笑っちゃうよね。 いまだに“反逆のカリスマ”とか言ってる人たちもいるしね。 それを、煽ってる人達も沢山いるみたい。 遊び好き、女好き、ちゃらんぽらんだったなんて、言っちゃいけないみたいだよ。 でも、それって普通のことなのに。 普通のちょっとカッコいい(笑)男の子が、素敵な歌を歌ってただけなのにね。 いつまでも、いつまでも、しんどいね。 A美のこと、守ってあげてね。 それだけが私のお願いです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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