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母の渡英が決まってから、早速航空券の予約を入れたものの、よくよく考えてみると、母が決めた渡英日は4月15日。
そのとき私はすでに39週目に突入しており、母のヒースロー空港へのお出迎えはかなり無理だということに気づいた。(←気づくの遅すぎ) 助産師のクリスにも、 「ちょっと…、うーん、かなり無理があるわね」 と、止められた。 ちなみに、旦那のセイは運転免許を持っていないため、問題外。(全く、使えない旦那…) セイに話すと、 「ほな、オレが1人で迎えに行って来るよ」 とは言ってくれたものの、もし、その日、または前日に私が産気付いていたら、セイだって病院に釘付けになっているはず…。 そういうわけで、”セイのお迎え案”もかなり不安を伴う。 母に話すと、電話の向こうながら、青ざめているのが分かった。 「ど、どないしよ~。私1人でそこまで絶対行けへんって…」 と、いつもしゃきしゃきの母から、かなり弱気な発言。 挙句の果てに、 「やっぱり、行くんやめよっかなぁ~…」 とまで、言い出す始末。 ちょ、ちょっとお母さん、待ってよ~。もう、辞表も提出したんっしょ~。そんなことで諦めないでよ。 とは言ったものの、母の不安も分からないでもない。 何しろ、1人で海外に行ったことのない60前の母にとっては、この状況はまさに、”ミッションインポッシブル”なのである。 しかし、どうあがいても私の出産予定日は変更できない=母の渡英日を変更してもらうしかない、ということになった。 母の退職予定日は3月末日。 …う…かなり無理がある… しかし、ラッキーにも、25日には、仕事を終れる、ということだったので、デッドラインは4月1日。4月1日に航空券を変更する、ということにあいなった。(早売りチケットだったため、変更に5万円もかかったが…涙) さて、4月1日といえば、私は37週目。 それでもリスクは伴うが、私がいけなくても、せめて、”セイのお迎え案”は確実に実現できそうなので、大きな進歩である。 ところが、昨日、母親から連絡があり、ナント3月末で辞める予定だった仕事を、昨日、3月1日付けで辞めてしまったらしい。 相変わらず、母のすることは人並み外れて、派手だ。(会社にとっては、えらい迷惑…) まあ、それでも残っていた、公休、代休、有休を全て使い果たしての3月末退職、ということで、受け入れられたらしく、3月末にあわただしく渡英するよりは、3月いっぱい日本でゆっくりとした後渡英できるので、結果的にはよかったのではないかと思う。 そういうわけで、カンペキフリーとなって、母はキレイさっぱり4月1日のエイプリルフールに渡英するらしい。 さて…、37週に突入した麗秋は果たして母をヒースローでお出迎えできるのでしょうか??? こうご期待! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004.03.05 04:29:43
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