|
テーマ:キングクリムゾン(654)
カテゴリ:キングクリムゾンメンバーズワーク
1967年夏、マイケルとピーターのジャイルズ兄弟が長年続けてきたトレンドセッターズと別れを告げ、故郷に戻り「時代はこんなに進んでるのに、何で俺たちは何もして無いんだ?」とジミヘンやピンクフロイドなど新しい時代の潮流に乗り遅れたことへの焦燥感を募らせ、「唄えるオルガン奏者募集」記事を出し、結果ロバート・フリップ(頭もじゃもじゃだがギターだけはべらぼうに上手い)と出会いました。この件はファンならご存知の方も多いでしょう。
しかし、組んだはいいがGGFが順調に軌道に乗ったわけじゃなく、フラワーポットメンとのギグ初日で失敗して解雇されたり、イタリアンシンガーのバックをやって興行師ともめたり、フリップは故郷でホテルバンドのクリスマスパーティーで箱バン演奏したりと翌68年のデッカとの契約までは色々と紆余曲折の中苦労も重ねてたようです。 その67年後半、仕事も無く政府の補助金で食い繋いでたGGFのマイケル・ジャイルズは、マイク・モートンのバンド「マイク・モートン・ファイブ」でも小銭稼ぎをしてた様なのですが、このバンドほとんど詳細が判りません。てか,、この時点でレコードも残してないから当然なのですがw フリップが67年末から68年新年にかけてマジェスティック・ダンス・オーケストラに出戻って仕事してた同じ時期、もしかしたらジャイルズもマイク・モートンのクリスマス興業に参戦していたのかもしれません。あくまで私の予想ですが。時期的に他の時期である可能性が無さそうですしね。 ジャイルズ兄弟は61年のダウランズ在籍時から67年に解散するトレンドセッターズ(変名バンド、トレンド、ブレインを含む)までの活動で、非常に多くのバンドと国内外のパッケージツアーを行いました。 当時のツアーの印象をピーターはシド・スミスさんのクリムゾン伝記本で語ってましたが、この時代に共演した様々なミュージシャンとの交流の中には、マイク・モートンもいたのかもしれません。 ジャイルズがマイク・モートン・ファイヴへ臨時参戦したと思われる67年に絞って調べると、確かに1967年にBBCラジオの番組アーカイブにTHE MIKE MORTON FIVEの出演記録が残されています。ただし出演は5月と7月の二回のみの記録ですが。 BBC Genome - THE MIKE MORTON FIVE 記録を調べてもモートンの詳細な情報はほとんど出てこないため、食いっぱぐれてた時期のジャイルズ先生がモートンからどの様な仕事を請けてたかは不明です。どさ回り時代からの顔見知りと言う線もありそうです。 マイク・モートンは60年代末から、自身のバンドTHE MIKE MORTON CONGREGATIONで活動し、多数のカバー曲をシングルやLPで発表したバンドマスターでした。70年に制作されたマクドナルド・アンド・ジャイルズはライブを行わないレコードのみのプロジェクト。プロジェクトが終了後、ウッズ夫妻との共演もマクドナルドが渡米し暗礁に乗り上げたので、ジャイルズ先生は旧知のモートンから仕事の依頼を請けたのかもしれません。翌年2月から立て続けに4枚のLPでドラムを叩いてるのも昔なじみと言う縁なのでしょうね。 多くのヒットソングカバー集を大量にリリースしてるバンドですが、70年代後半には時代の流れでディスコソング集も出していたようです。また同姓同名のスプリガン所属のマイク・モートンは活動時期が被るけどまったくの別人と見てよいでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Nov 3, 2015 06:31:16 PM
コメント(0) | コメントを書く
[キングクリムゾンメンバーズワーク] カテゴリの最新記事
|
|