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カテゴリ:プログレッシヴ・ロック
3月15日ガブ様がキースへ追悼文を発しました。毎度のとんちき意訳ですが。
![]() 「先週、キース・エマーソンの非常に悲しい自殺のニュースで音楽界は苦しみと損失を被りました。 私とトニー・バンクスは彼が最初に成功を収めたバンド「ナイス」の大ファンでした。 まだ4人組でデヴィッド・オリストがいて、リー・ジャクソンがベースでイアン・ヘイグがドラムスでした。(※訳注、オリストとヘイグはそれぞれ薬物依存で後にバンドから解雇されている。) 当時の英国において最もエキサイティングなバンドの登場で、ロンドやアメリカといったナンバーは、さながら「キース劇場」でした。 グループを最初にプロデュース/マネジメントしてたのはアンドリュー・ルーグ・オールダムでしたが、オールダムがレコード会社を放り出して失踪すると、スポーツ・ジャーナリスト上がりのトニー・ストラットン=スミスが彼らを引き受けました。結果としてこの当時ザ・ナイスとジェネシスはトニー・ストラットン=スミス(マネジメント)に行き着いたわけです。 ![]() 多くの人は大観衆相手に演奏していたELPでの活躍を知ってるでしょうけど、私個人としてはナイス当時の力強さや音楽性に特に興奮を覚えてました。 あまり知られてませんが、ジミ・ヘンドリクスがナイスとの共演をとても印象的に語っており、私個人としてはその共演を見る機会をついに得られなかったのを残念に思っています。 クラシックだとかジャズだとかロックかどうかではなく、キースの情熱がよい音楽に注げられた事がプログレッシヴ・ロック・ムーヴメントの道標の一つでありました。 彼にさよならを言うのは悲しい事です。 PG(ピーター・ガブリエル)」 ================= PPアーノルド(ザ・ナイスの名付け親にしてベテランシンガー) 「キース・エマーソンが亡くなった悲しい知らせを聞きました。画像は私のツアーを尋ねてブライトンに来てくれた時のものです。彼は凄く良い人でした。 ![]() 彼が悲劇的にこの世を去ったと聞きその悲しみでひどくショックを受け、ただ呆然としております。 彼は私の親友でした。 私たちの歴史はとても絡み合っています。 深い同情と哀悼の意をマリ、彼の素晴らしいご両親、全てのご家族、幾千人ものご友人、そして世界中のファンに捧げます。 キース・エマーソンよ、安らかに。」 1966年フランスから帰国したキースは同居人ミッキーザ・オーの紹介でパット・アーノルドを訪問、彼女から請われリー・ジャクソンらとバックバンドを結成。それが後にナイスとして成功を収める最初のきっかけとなりました。つまり50年来の友人だったというわけです。 ミック・ジャガーのプロデュースで制作されたPPアーノルドのファーストアルバムは、まだ結成間も無いころのナイスが3曲セッションでレコーディングに参加しています。近年復刻されているCDにはボーナストラックとしてミックプロデュースでPPとロッド・スチュワートがデュエットした曲、Come Home Babyも含まれており、これにもキース・エマーソンが参加してピアノを弾いています。この曲は1966年8月セッションという事なのでナイス結成以前のレア音源となるわけです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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