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テーマ:1960年代英国音楽(54)
カテゴリ:キングクリムゾンメンバーズワーク
ボズ・バレルが1960年代中期に出した4枚目のシングル盤の中で、現在市場で最も人気の高く入手の難しいシングルレコードです。
本ブログでは以前から何度も取り上げてますが、レイモンド「ボズ」バレルが音楽をはじめたのは1963年頃に彼が最初に加入したティー・タイム・フォーだと判明しています。そのバンドでは当初アコースティックギターでリズムギターを担当していたようですが、バンドが4人編成に絞られた1964年、リードヴォーカルとリズムギター担当となりました。 いくつかのサイトにおいて、この頃にもレコーディングを行いレコードデビュー話はあったようですが、元メンバーのバリー・ディーン氏によると「僕がいた当時は録音をしていない」ということですので、ロンドンへ上京する以前のメンバーチェンジ後にデモ制作が行われたのではないかと思います。 1965年春からはバンド名もBoz Peopleとなり、後にマーキークラブのマネージャーとなるジャック・バリーがバンドマネージャーとなり、彼らと一緒のアパートに同居し積極的に活動をはじめました。1965年6月にはイアン・マクレガンも加入し5人組となったボズ・ピープル。ロンドンでは結構名の知られるバンドだったと来日時のメル・コリンズが当時から存在を知っていたそうで、ザ・フーが内紛を起こした夏場にはロジャー・ダルトリーに替わってボズがザ・フーに参加するのではと当時の音楽誌を騒がせました。 一見順調に思えたボズ・ピープルでしたが、秋のドイツ巡業からロンドンへ戻る際、バンド機材が盗難にあってしまい、バンドは解散してしまいました。 当時の事を生前のマクレガン氏は「機材が盗難され、ボズは笑いながら『もうこれで終わりだ』と嘆いてた」と語っておりました。 ボズ・ピープルが解散し、メンバーはそれぞれ別バンドへと移り、 残されたボズは翌1966年に4枚のシングルを2月から7月にかけて連発で出すに至ります。(上の画像はボズ・ピープル解散後1965年12月のマーキーに出演するサイドワインダーズへ客演したBOZの告知) ボズ・ピープル後、ともに活動したサイドワインダーズも66年年明け早々解散し、新たなバンドと活動を始めたボズは、春から夏にかけて活発に活動したのですが、時はロンドンの音楽シーンが爆発的に進化を遂げた時代。ボズのヴォーカリスト路線は時代に取り残された古びた感じになっていってしまったのでしょう。そんな66年に出されたボズの4枚目のシングルは、まさにその当時の時代に乗り遅れたソロシンガーという感じのポップスです。(実際は、この年にもう一枚Make Love / Talk To Meというシングルも制作されたのですが、デモのアセテート盤のみで発売には至りませんでした。) で、肝心のシングルですが、A面はアコースティックギターではじまる青春歌謡といった雰囲気のこれといって特徴もない曲ですが、B面はコメディホラー映画の主題歌のカバー曲です。 一部では映画の主題歌をボズが歌ったかのように書かれてる海外サイトもありますが、映画の主題歌で同曲を歌っているのは全く声の違う別人です。おそらくB面曲の用意がなかったか、話題曲をカバーしたか、まあそんなところなのでしょうねw 60年代のボズの活動については5年前に書いた記事があります。興味がある方はどうぞ。 Boz Burrellが60年代に在籍したTea Time Four等バンド活動について お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Aug 9, 2019 08:15:39 PM
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