どくとるマンボウ~青春記~
『若者よ、年寄りを侮蔑してもよい。しかし、必然的に自分もまた年寄りとなり、近ごろの若い者は、などと言いだす存在であることも忘れるな。若者よ、自信をもち、そして同時に絶望せよ』半自叙伝的なエッセイは、形を変えれば私小説にもなり得る。なぜ私小説がおもしろいのか突き詰めていくと、やはり内容のリアリティーにあると思われる。だが、私小説で最も陥り易いのは、あまりにも個人的すぎて日記や手記と言ったカテゴリに埋没してしまうという点だ。そんな中、北杜夫氏は、ほぼ実際に体験したであろう記憶の断片を、見事な切り口とユーモアをもってエッセイという形に完成させたのだ。あからさまな実体験を描くというものではなく、もっと知的で上品で、万人から受け入れられ易い作風なので、読後感が実に爽やかだ。どくとるマンボウシリーズはいくつかある中で、勧められるままに〈青春記〉を読んでみた。内容は、著者の旧制松本高校時代の、ユーモアをふんだんに盛り込んだ体験談となっていて、古き良き昭和の香りが漂う作風となっている。敗戦直後のどさくさに紛れた様子から、厳格な父親である斉藤茂吉との一風変わった父子関係に至るまで、読者を飽きさせることなく、独特な感性を披露してくれる。平成を生きる若者たちにとって、この著書がどれほど評価されるものなのかは、正直なところ分からない。というのも、時代背景はもちろん、教育のあり方や人間関係の構築のあり方もかなり違うので、共鳴には難いからだ。表面的なところだけを切り取って読んでしまうと、北杜夫氏がおもしろおかしく青春を謳歌している様子だけがクローズ・アップされる。そうすると、「自分とは違う世界の人だ」と捉えてしまう読者もいるに違いない。だが、よくよく読んでみると、この著書がある種のセラピーであることに気付く。精神科医でありながら、自身もまた神経症を患っていた北杜夫氏が、とりもなおさず自分(人間)を大切にしようではないか、と語っているのだ。蛇足ながら、北杜夫氏が小説家として本領を発揮しているのは、『楡家の人びと』であろう。この作品で、毎日出版文化賞を受賞している。北杜夫さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。合掌