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タイトルにつけた「さし出した手のひら」
これは3年前に3人の人を介してもたらされたメッセージでした このタイトルで本を書くようにと。 ぜんぜん手を付けられてないのですがこのブログを書いていてふと出てきた・・・・よ? 16日東京から鎌倉へと移動しました 別件でお邪魔したのですがその時に大きな鳥居の前を通りました 何用で来ていようと私のアンテナは止まりません 「ここは、ご挨拶!」とお伺いしたのは鶴岡八幡宮 鎌倉のメイン道路のど真ん中に鳥居があり、中央分離帯のように参道が通ってます 実を言うと歴史に疎い私・・ 由緒も知らず無礼な状態 で、鳥居をくぐり本殿に着いた途端 「戦いのエネルギー」を感じこみ上げるものがありました 思わずここの神様にお聞きしました 「戦いから学んだ事はなんですか?」 「過去の戦いには間違いがあったかもしれないがルールがあった たがいに通じ合い合わせ合ったものがあった。 そこには絆が生まれたいた。そして平和な世の大切さを知った 日本人の精神性のあり方が受け継がれるように 教えとして神として生きる人間を象徴として残した。 今はそれを感じる人々が世に点在しているだろう。己のあり方で広めて欲しい」 これは現代の人々のルーツとなっている最初の頃の存在からのメッセージ 「生き方」を説いています。 生きることそのものが神なる役目。 人間一人一人がそういう役目を持って世を形成していると言うことです 次に向かうは銭洗弁天 正式名は銭洗弁財天宇賀福神社。 鳥居は山の洞窟の入り口にあり強いエネルギーを発しています 本宮で祈っているとき眉間のチャクラにエネルギーが注がれました こんなのは久しぶりです 「力を与えた」と一言いわれ「なんでしょう?」と思いながらも 奥宮へ。 クラクラするほどの強いエネルギーと次元の境目でいつも感じる感覚 ここは次元が全く違う場所 奥宮で手を合わせていると 「ここではお金にまつわる人々の執着や欲、想い等を流しています」 と教えてくれました。 人間のあらゆる想いがまとわりつくお金 キレイにすることでお金というコミュニケーションのツールを 感謝の循環に変えているのだそうです お金を大切に扱うということの意味は互いの心を大切に扱うことと同義。 その気は無かったのですが意味を知り、「どうぞ」と言われ 私はお金の赤ちゃんである1円玉を洗いました。 ここから始まる・・そんな気がして。 ここにはこんこんと流れ出る山からの水で溢れています どうしてこんなに豊富なんだろうと思うくらいたくさん! 水ノ神宮は下と上2つありました 下を行って気持いい!と思っていると上の宮から呼ばれます とても大きなエネルギーなので躊躇していると、どうしても来てといわれます 静々とお邪魔させていただきました。 手を合わせてご挨拶をすると 「水は地球全てに隔てなく与え必要な分がいきわたっています。 あなたにもエネルギー(能力)を与えました。 誰に対しても分け隔てなく同じように与えてください」 もう、なんというか、「はい。わかりました」としか答えられません 人間の(私の)未熟な部分、人としてまだまだ磐石な私自身の行いは全てお見通しです そして人々の同じような部分に対しても愛溢れる行為であると感じます 教えのままに心させていただきます。 人々に、たくさんの次元から応援の手が入っているようです 差し出された手のひらに感謝し、素直に呼応していけそうです さて、17日は札幌に戻りましたが 22日は再び苫小牧へと移動になりました この行き来によってある流れに乗っているのがわかります・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 24, 2009 01:05:15 PM
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