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《櫻井ジャーナル》

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2011.04.11
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 石原慎太郎は原発を東京湾に作っても良いと発言してきた。最初は2000年4月に開かれた日本原子力産業会議(現日本原子力産業協会)の年次大会。「完璧な管理技術を前提とすれば、東京湾に立派な原子力発電所を作ってもよいと思っている」と講演している。「完璧な管理技術を前提」という条件をつけたところが小賢しい。「東京湾に立派な原子力発電所を作ってもよい」などと思っていないことは明らかだ。原子力産業会議、つまり「強者」に対するリップサービスということ。

 それ以降も、記者会見で「適地があれば東京につくったっていい」、「東京湾に原子力発電所を造ってもいいというぐらい原子力発電所は安全だ」などと繰り返し、テレビ番組でも「本当に東京湾に原発をつくってもいいと、僕は思っている」と発言してきた。

 実際に原発を東京に建設しようなどという話になるはずはないと見越しての原子力反対派(弱者)への挑発であり、原子力推進派(強者)へのおもねりにすぎない。本当に原発を東京湾に作って良いと思うなら、今回の選挙でもそう主張すべきだったし、議会に提案しなければならない。それは最低限の責任だ。

 とは言っても、石原は無責任を絵に描いたような人物であり、石原的な人々は原子力について深く考えていない。原発の破滅的な事故だけでなく、放射性廃棄物の処理をどうするかも真剣に検討しているわけでなく、「原発賛成」という信仰を正当化するための理屈をひねり出そうと必死になっているだけのことだ。理屈の破綻は「信じなさい」ということで誤魔化している。

 石原にしろ、その同調者にしろ、所詮は「原子力カルト」の信者にすぎない。彼らに「脱原発」を説くのは、狂信的なカルト信者に信仰を捨てろと説得するのと同じで難しい。そのことを近隣諸国や欧米の人々は実感し始めているだろう。





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最終更新日  2011.04.11 15:26:20



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