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《櫻井ジャーナル》

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2014.01.08
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 年明け後、イラクのラマディとファルージャで激しい戦闘があり、アル・カイダ系の武装集団、ISIL(ISISとも表記、AQIとも呼ばれている)に制圧されたという。現在、空爆の準備をしている政府軍は武装勢力に対し、撤退するように呼びかけているようだ。

 本ブログでは何度も書いていることだが、シリアのバシャール・アル・アサド体制を倒すため、NATO諸国(アメリカ、イギリス、フランス、トルコ)やペルシャ湾岸の産油国(サウジアラビア、カタール)はアル・カイダを使っている。ISILも外国勢力の支援を受けてシリアで政府軍と戦っている。リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制を倒したときと同じ構図だ。

 アル・カイダの黒幕はサウジアラビアであり、ISILもシリアで反アサド派諸国から武器などさまざまな援助を受け、その援助を利用してイラクでも戦闘を繰り広げている。イラクの戦乱を深刻化させているのはNATO諸国やペルシャ湾岸の産油国だということだ。

 2007年の段階でアメリカ(ネオコン)やイスラエルと連合してシリアやイランの体制を破壊するための秘密工作を始めたサウジアラビアだが、そのサウジアラビアがアメリカの手先になり、イスラエルと手を組むのは1970年代の終盤以降のこと。アフガニスタンへ引きずり込んだソ連軍と戦わせるために編成したイスラム武装を支える柱のひとつだった。

 こうした同盟関係が昔から続いているわけではなく、1964年から75年までサウジアラビア国王だったファイサル・ビン・アブドルアジズ・アル・サウドはアメリカとも一線を画し、PLOのヤセル・アラファト議長とも友好的な関係にあった。イスラエルと同盟を組むような人物ではなかったということだ。

 そのファイサル国王は1975年3月、甥のファイサル・ビン・ムサイドに射殺されてしまう。その甥はクウェート石油相の随行員としてその場にいたという。この暗殺によってサウジアラビアは大きく変化、アメリカやイスラエルへ接近する。

 この甥は博打が好きだったようで、大負けして多額の借金を作っていた。その借金を清算してくれたのは、ひとりの女性。男女の関係もできたようだが、それだけでなく、その甥を麻薬漬けにして操り人形にしてしまったようだ。その女性の正体は不明だが、モサドのエージェントだったと噂されている。確かに、モサドの常套手段ではある。

 ファイサル国王が暗殺された後、ハリド・ビン・アブドルアジズ・アル・サウドが新たな国王になるが、実権を握ったのは第1副首相で親米派として有名なファハド・ビン・アブドル・アジズ。1982年から2005年まで国王の座にあった。

 現在、アル・カイダ(スンニ派の武装勢力)を実際に指揮しているのはサウジアラビア総合情報庁のバンダル・ビン・スルタン長官だと言われているが、この人物は1983年から05年まで、つまりファハド国王の在位期間とほぼ同じ時期にアメリカ駐在大使を務めていた。その後、国家安全保障会議の事務局長に就任、総合情報庁の長官になるのは2012年のことだ。2001年9月11日の出来事に関し、疑惑の目で見られているひとりだ。





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最終更新日  2014.01.09 12:43:01



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