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《櫻井ジャーナル》

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2016.07.29
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 勿論、安倍晋三政権を操っているのはアメリカの好戦的な一部支配層だが、国内の活動を支えている団体として日本会議が注目されている。本ブログでも紹介したが、その日本会議の活動を支えてきた実務部隊が日本青年協議会/日本協議会。この団体は生長の家の創始者である谷口雅春の信奉者を中心とする人びとによって構成されているようだ。安保闘争が繰り広げられていた1960年代、谷口雅春を信奉していた学生は「左翼」の学生に対抗するために日本学生同盟や全国学生自治体連絡協議会を設立、「既存右翼」とは一線を画した「民族派」の源流になったともいう。この「既存右翼」は「親米反共」を掲げる人びとで、戦前に活動していた血盟団などと混同してはならない。

 この「既存右翼」が誕生する切っ掛けを作ったのは木村篤太郎だ。1951年に吉田茂政権で法務総裁に就任した木村は左翼対策として「反共抜刀隊」の創設を計画、博徒やテキ屋などを集め、組織化しようとした。この構想自体は立ち消えになったものの、博徒やテキ屋の組織化は実現、広域暴力団につながる。

 広域暴力団は「ヤクザ」と呼ばれることがあるが、戦前から戦後にかけて関東で博徒として生活していた人物の話によると、戦前、「ヤクザ」なる呼び名は使われていなかったという。田岡一雄時代に関西のヤクザだった人物も同じことを話していた。ヤクザは国家権力が作り出したのだ。

 田岡は山口組の3代目組長として神戸港の荷役に関係していた人物で、1952年に港湾荷役協議会を創設して会長に就任、56年には神戸港港湾労働組合連合を設立、港湾荷役協議会を解散したうえで全国荷役湾荷振興協会を組織している。単なる犯罪組織のトップというわけではない。権力システムと密接に結びついていたのだ。

 この当時、物資の運搬は船が中心で、港湾労働者がストライキをすれば物流が止まり、経済活動は麻痺してしまう。そこで、港から左翼の影響力を排除する必要があると支配層は考えた。港から左翼勢力を排除、労働争議を防ぐ役目を田岡は負っていたわけだ。横浜港を押さえたのは藤木企業の藤木幸太郎だ。

 関東の広域暴力団も権力システムと結びついている。例えば、関東の暴力団が警察と定期的に話し合いの席を設けているとする山口組幹部の話をジャーナリストの溝口敦は明らかにしている。「警視庁の17階に何があるか知らしまへんけど、よく行くいうてました。月に1回くらいは刑事部長や4課長と会ういうようなこと大っぴらにいいますな」という内容だ。(溝口敦著『五代目山口組』三一書房、1990年)筆者も関東の暴力団関係者から全く同じ内容の話を聞いたことがあるので、事実だろう。

 しかし、広域暴力団が表立って権力システムの手先として動くことは難しい。そこで系列の「右翼団体」が組織された。こうした団体が「既存右翼」だ。血盟団のような考え方の右翼はアメリカから危険視され、第2次世界大戦後にも左翼と同じように弾圧されたようだ。

 こうした「既存右翼」と一線を画した「民族派」を生み出した生長の家は宗教団体。現在、この団体は日本会議のような活動と実際に無関係のようで、谷口雅春の信奉者からは批判されている。

 こうした信奉者で構成される日本青年協議会/日本協議会の内部では「天皇信仰」の徹底が図られているとする証言があるが、こうした考え方をする人びとは天皇派、あるいは皇党派と呼ぶべきであり、民族派とするのは適切でない。

 民族派をナショナリストだと解釈した場合、世界的に見ると王制と相性が良いとは言えない。例えば、エジプトのガマール・アブデル・ナセルは王制を倒し、イランのムハマド・モサデクも国王と対立している。

 戦前、日本で襲撃された政治家や財界人はウォール街の影響下にあった人びとで、貧富の差を拡大、娘の身売りを強いる政策を進めたと見なされていた。日本がそうした強欲な国になったのはそうした政治家や財界人に責任があり、そうした人びとを排除すれば天皇が庶民のための政治を行うと考えたわけだ。勿論、こうした考え方が間違っていることは二・二六事件で明白になった。

 いわゆる明治維新で徳川体制を倒した薩摩藩と長州藩を中心とする勢力は「国教」として国家神道を作り上げたが、これは支配の仕組みとして作り上げられた神道系の新興宗教だ。大日本帝国憲法で天皇を神聖不可侵の存在だとし、学校では国家神道をよりどころとする「国民道徳」が子どもたちに叩き込まれている。

 この教育の基盤が教育勅語であり、「天皇が至高の存在であることを学問の大前提」として、「天皇に忠義であったか否か、忠臣か逆臣かで人物を評価し、その人物の行動をあとづけることによって歴史物語を描写した」皇国史観が教え込まれた。(本郷和人著『人物を読む 日本中世史』講談社、2006年)

 1990年代から日本に改憲を強く要求しているアメリカの支配層はネオコン/シオニストである。その目的は日本を戦争マシーンに組み込み、アメリカ軍の補完物にすることにあったが、そのネオコンの手先として動いている安倍晋三政権が改憲を目指し、教育基本法を憎悪するのは当然なのだろう。

 本ブログでは何度も書いてきたように、ネオコンは1992年に時点で世界制覇を目指す世界制覇の方針、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」をスタートさせた。ユーゴスラビアへの先制攻撃はNATOが実行、アフガニスタンやイラクはアメリカ軍を中心として実行されたが、その後は1980年代の手法を使い始める。

 1970年代の終盤からズビグネフ・ブレジンスキーのプランに従ってCIAはワッハーブ派/サラフ主義者を中心に武装集団を編成する。そうした人びとはサウジアラビアが雇い、イスラエルも協力している。CIAは軍事訓練を行って戦闘員を養成、武器/兵器を提供した。

 ロビン・クック元英外相によると、CIAが訓練した「ムジャヒディン」、つまり戦闘員のコンピュータ・ファイルがアル・カイダ。これはアラビア語でベースを意味し、データベースの訳語としても使われる。戦闘員の登録リストだということだ。

 アフガニスタンやイラクだけでなく、中東/北アフリカ全域でこの仕組みは使われているようだが、ウクライナでネオコンはネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)。東アジアでもアル・カイダ系武装勢力やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)が使われる兆候は見られるが、日本もこうした武装集団と同じ立場にある。EUはアル・カイダ系武装集団とネオ・ナチ、両方の攻撃を受けそうだ。





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最終更新日  2016.07.30 03:54:49



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