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《櫻井ジャーナル》

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2019.11.01
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 シリアの北部、トルコとの国境に近い​ラース・アル・アインでトルコ軍とシリア政府軍との間で激しい戦闘​があったと伝えられている。すでにこの地域からクルド軍は撤退済み。11月1日からトルコ軍とロシア軍の合同パトロールが始まるとトルコ政府は発表しているが、パトロール中のロシア軍も攻撃を受けたという。

 トルコ軍はクルド軍の存在を攻撃の口実にしてきたが、そのクルド軍は迅速に撤退、替わってシリア政府軍が入っていた。クルド軍がいるかどうかには関係なく、シリア領の国境線近くの地域を占領しようとしているようにも見える。

 アメリカ軍はNATO加盟国のトルコ軍との交戦を避けるようにして撤退、デリゾール周辺の油田地帯からイラク西部にかけての地域に移動したが、トルコ軍のシリアへの侵攻を誘い、シリア軍やロシア軍と衝突させようと目論んでいると推測する人もいる。

 2011年3月にシリアへの侵略が始まった当時、トルコはアメリカと手を組み、侵略の拠点を提供していた。そうした関係は戦争の長期化で揺らぎ始めるが、大きな節目は2015年9月末のロシア軍介入。

 シリア政府の要請で、ダマスカスに迫っていたダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)をロシア軍が攻撃しはじめたのだ。その軍事介入で戦況は一変、アメリカなどが手先に使ってきた傭兵部隊は敗走しはじめた。そうした中、同年11月24日にトルコ軍機がロシア軍機を待ち伏せ攻撃、撃墜したのだが、これがロシアの姿勢を厳しくさせる。アメリカはロシアを脅そうとしたのだろうが、これは逆効果だった。

 この撃墜はアメリカ軍の命令に基づくものだった可能性が高い。撃墜の当日から翌日にかけてポール・セルバ米統合参謀本部副議長がトルコのアンカラを訪問していた。

 シリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すことが難しくなる中、2016年6月にトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は撃墜を謝罪、7月13日には同国の首相がシリアとの関係正常化を望んでいることを示唆する。軍事蜂起(クーデター未遂)があったのはその2日後だ。

 この軍事蜂起はすぐに鎮圧された。事前にトルコ政府へロシアから警告があったと言われているのだが、トルコ政府はクーデターはフェトフッラー・ギュレンの一派が実行したと主張、アメリカでCIAに保護されている同派の指導者、ギュレンを引き渡すようにアメリカ政府へ求めているが、拒否されている。トルコ政府はクーデター計画の背後にアメリカ中央軍のジョセフ・ボーテル司令官やジョン・キャンベルISAF司令官がいたとも主張している。

 そうした経緯を経てトルコはアメリカから離れ、ロシアへ接近した。その構図をひっくり返すため、トルコ軍の軍事侵攻を誘ったという見方があるのだが、クルドとシリア政府の接近で戦乱の終結は近いと見る人もいる。どの方向へ動くかは、ロシアの能力次第だろう。






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最終更新日  2019.11.01 17:37:02



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