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COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)が中国の武漢で始まったのかどうかを確認するため、WHO(世界保健機関)の調査団が武漢で調査を行った。その調査についての記事をニューヨーク・タイムズ紙は掲載、その中で中国の科学者がWHOチームとの生データ共有を拒否したと書いたのだが、それを調査チームのメンバーが即座に否定するツイットを書き込んだ。この書き込みは検閲されなかったようだ。記事はジャビール・ヘルナンデスとジェームズ・ゴーマンが書いたようだが、一体、誰に取材したのだろうか。明示されていないのでわからない。 別のメンバーがそう語ったのかもしれないが、リビアやシリアでの戦争にしろ、ウクライナでのクーデターにしろ、イラクを先制攻撃する際に流された大量破壊兵器話にしろ、西側有力メディアの「報道」は嘘で塗り固められていた。 シリア北部ホムスで2012年5月に住民が虐殺された際、西側の政府やメディアは政府軍が実行したと宣伝、その際にイギリスのBBCはシリアで殺された子どもの遺体だとして2003年3月にイラクで撮影されたものを掲載、オーストリアのメディアは写真を改竄し、背景を普通の街中でなく廃墟に変えて掲載していた。 その虐殺を現地で調査、報告したフランス人司教は「もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は地上の真実と全く違っている」とローマ教皇庁の通信社で報告している。西側の有力メディアは戦乱を拡大するため、偽情報を流しているのだ。 フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙の編集者だったウド・ウルフコテは2014年2月、ドイツにおけるCIAとメディアとの関係をテーマにした本を出版、その中で多くの国のジャーナリストがCIAに買収されていて、そうした工作が危険な状況を作り出していると告発している。 彼によると、CIAに買収されたジャーナリストは人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開し、ロシアとの戦争へと導いて引き返すことのできないところまで来ているとしていた。2014年には「ルビコン」の直前に到達していたということだろう。ジョー・バイデン政権の誕生でアメリカはルビコンを渡った。 本ブログでも繰り返し触れてきたが、CIAがジャーナリストに大きな影響力を持っている実態は1970年代から指摘されていた。例えば、ワシントン・ポスト紙の記者としてウォーターゲート事件を取材したことで有名なカール・バーンスタインはリチャード・ニクソン大統領が辞任した3年後の1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いている。 その記事によると、記事が出るまでの20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したとCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) ジャーナリストのデボラ・デイビスが書いた『キャサリン・ザ・グレート』もCIAによるメディア支配の一端を明らかにしている。彼女によると、第2次世界大戦が終わって間もない1948年頃にアメリカでは「モッキンバード」と呼ばれる情報操作プロジェクトがスタートしている。そのプロジェクトを指揮していたのは4人で、第2次世界大戦中からアメリカの破壊活動を指揮していたアレン・ダレス、ダレスの側近で戦後に極秘の破壊工作機関OPCを率いていたフランク・ウィズナー、やはりダレスの側近で後にCIA長官に就任するリチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムだ。(Deborah Davis, “Katharine the Great,” Harcourt Brace Jovanovich, 1979) ダレスはOSSやCIAに君臨していたウォール街の弁護士、ウィズナーはダレスの側近で、やはりウォール街の弁護士。ヘルムズもダレスの側近で、国際決済銀行初代頭取の孫。グラハムの妻、キャサリンはウォーターゲート事件でリチャード・ニクソンを失脚させた当時のワシントン・ポスト紙社主として有名だが、その父親は世界銀行の初代総裁である。情報操作の黒幕は国際的な金融資本だと言えるだろう。 ウォーターゲート事件でリチャード・ニクソン大統領を辞任に追い込んだワシントン・ポスト紙は情報操作に深く関係していたわけだが、その実態を明らかにしたのはウォーターゲート事件で取材の中心になっていたバーンスタインだ。 アメリカにジャーナリストが存在することを印象づける報道のひとつとして、ソンミ村での虐殺に関するものがある。1968年3月に南ベトナムのカンガイ省ソンミ村のミライ集落とミケ集落において村民がアメリカ兵に殺されたのだ。アメリカ軍によると、犠牲になった村民の数はミライだけで347名、ベトナム側の主張ではミライとミケを合わせて504名だされている。 虐殺したのはウィリアム・カリー大尉が率いる小隊。この出来事が発覚した一因は、農民が殺害されている最中に現場の上空にさしかかったアメリカ軍のOH-23偵察ヘリコプターが介入して虐殺を止め、告発したからだ。従軍記者や従軍カメラマンは虐殺を知っていたが、報道していない。 トンプソンを含むアメリカ軍の兵士は帰国後、ベトナムで住民を虐殺している実態を議員などに告発しているが、政治家は動かない。従軍記者や従軍カメラマンは沈黙を守った。虐殺事件を明らかにする記事を書いたのは、ジェフリー・コーワンという人物から話を聞いたシーモア・ハーシュだ。 コーワンは1968年の大統領選挙で民主党の上院議員でベトナム戦争に反対していたユージン・マッカーシーの選挙キャンペーンに参加していたが、ハーシュもマッカーシー陣営にいた。 この虐殺を従軍記者や従軍カメラマンが報道しなかったひとつの理由は、似たようなことが繰り返されていたからだと言われている。虐殺が繰り返されていることを彼らは報道しなかった。ソンミ村での虐殺はCIAと軍の特殊部隊が行っていた住民皆殺し作戦、フェニックス・プログラムの一環だったのだ。 カリー大尉の小隊は第23歩兵師団に所属していたが、当時、その師団にはコリン・パウエルという少佐がいた。ジョージ・W・ブッシュ政権で国務長官を務めたパウエルだ。2004年5月に彼はCNNのラリー・キング・ライブに出演、彼の師団がソンミ村で住民を虐殺したことを知っていた。後で自分も現場へ入ったと語っている。 事件が報道されるとCIAは事件の隠蔽を図る。調査を任されたウィリアム・ピアーズ将軍は第2次世界大戦中、CIAの前身であるOSSに所属、1950年代の初頭にはCIA台湾支局長を務め、その後もCIAとの関係は続いていた。 その調査を受けて16名が告発されたものの、裁判を受けたのは4人にすぎず、そして有罪判決を受けたのはカリー大尉だけだ。そのカリーもすぐに減刑されている。ソンミ村での虐殺を責任に問えば、フェニックス・プログラム全体が問題になってしまうからだ。ベトナム戦争ではそうした虐殺は珍しくなく、パウエルはそうした虐殺などをもみ消す役割を負っていたひとりだった。 アメリカの有力メディアは支配者の宣伝機関として活動してきたわけだが、それでも1970年代までは気骨あるジャーナリストが活躍する余地はあった。それが1980年代から急速に狭まり、21世紀に入ってから「報道」は偽情報で塗り固められている。今回のニューヨーク・タイムズ紙による「報道」もそうした偽情報のひとつだと言えるだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.02.18 03:01:00
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