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エベン・アレクサンダー医師以外に臨死体験した医師として、カール・グスタフ・ユングが
有名である。 ![]() スイス生まれの心理学者であり、精神科の医師である、カール・グスタフ・ユングは69歳の とき、臨死体験をしている。 1944年、ユングは心筋梗塞を起こし、続けて脚を骨折した。 意識を喪失し、譫妄状態 になったユング。その際、ユングは幻像を見た。その幻像、それは「青く輝く地球」だった。 私は宇宙の高みから地球を眺めていた。 はるか下方には青い光に輝く地球が浮かんでいるのが見え、そこに は紺碧の海と諸大陸が見 えていた。はるか彼方にセイロン島があり、 前方はインド半島だった。 私の視野に地球全体は入らなかったが、地球の球形はくっきりと浮かび、その輪郭はすば らしい青光に照らし出されて銀色の光に輝い ていた。 地球の大部分は着色されており、ところどころ燻し銀のような濃淡の斑点をつけていた。 左方のはるか彼方には大きな荒野があった。そこは赤黄色のアラビヤ砂漠で、銀色の大地が 赤みがかった金色を帯びているかのようであった。そして紅海が輝き、さらにははるか後方 に、ちょうど地図の左上方にあたるところに地中海をほんの少認めることができた。 雪に覆われたヒマラヤを見たが、そこは霧が深く雲がかかっていた。左手の方は見渡すこ とができなかったが、自分は地球から遠ざかっているのだということを自覚していた。 『ユング自伝2』ヤッフェ編 1944年 (みすず書房から) その描写は、ジャーナリストの立花隆氏も指摘するとおり、アメリカ合衆国の宇宙船「ア ポロ8号」が1968年に月の周回軌道から撮影した地球の写真の姿とぴったり合っている そうだ。 ![]() 宇宙飛行船が飛行する以前に、ユングはこのような地球を幽体離脱して見たと思われる。 人類で一番最初に「地球の姿」を見たのは、ご存じの通り 旧ソビエト連邦のユーリィ・ガ ガーリンである。ガガーリンは、人類初の有人宇宙飛行船「ボストーク1号」に搭乗し、地 球の周回軌道に乗った。ガガーリンは、あまりにも有名な言葉を遺している。 「地球は青かった」、それは1961年のことである。 その飛行高度は182km〜327kmであった。 スマホ用の自然治癒力研究会メインページです! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.08.17 21:49:05
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