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フリーページのC猫の図書館に更新したとおり、今日は森瑤子氏の消えたミステリーと言う本を読んだ。久しぶりの読書。
今日は散々な日だった。 セラピーにも行きたくなく、電車にも乗りたくなく気が進まなかったがいつもの事と思いきちんと予定通り家を出てAのオフィスに行く。 マンハッタンのWestに着いたのでEastの方までテクテク歩く。6番街、5番街、マディソン通り、パークアベニュー、レキシントン通り、3番街、2番街。なぜか4番街はない。NYCを知っている人なら知っている事である。 それが実はダウンタウンの方には一部4番街があるのだけれど…。 とにかく今日は酷く寒かった。秋のNYCとして写真を掲載したが今日は冬のNYCへようこそという様な寒さだった。 ロングコートでないとパンツを通して風が骨の髄まで冷やすような陽気である。 歩くうちに今日はEMDRをやりたい気持ちは全くなく、それどころか、話したい気分もなくなってきた。それどころか歩くのをもやめたくなった。 寒さとは直接は関係がない。 Starbucksでコーヒーを買い何とか時間通りに行くと全く疲れてしまって話す気力もなかった。 だからそう率直に言ったらセラピストAは別にEMDRをやらなくても良いんだから、と言って話し始めた。 Aは色んな方法を試みてC猫にその疲れの原因を吐き出させようとするのだが、いずれも上手く行かなかった。 こっちにその気持ちがないのである。もしそんな事をしてしまったらどんな事になってしまうか分らないほど疲れていたのである。と言うかLowだったのである。 こないだ、何回か直接の原因もないまま号泣した時に、最悪のLowだと言っていたのだが、あのLowが単なる予兆であったという事が今日、分った。 あの時は号泣だったが、号泣も出来ないほど疲れたのだ。 しかもそれ程自分がLowである事に気がついていなかった。 セッションの中でついに何もやりたくないし、しかも、I can't do this.と言うに至った。 日本語でどういえばいいのだろう。私はこれが出来ませんという直訳だけど、要するに朝起きてどこかに行ったりセラピーに行ったりそういう事全てが出来ないと思ったのである。 もう、疲れて。 死にたいという訳ではないのだ。しかし、この辛さは終わらせたいと思う。でもそれを終わらせるべくセラピーにせっせと行くのにも疲れたのである。 そしてこの辛さはどこまで行ってもことごとくいつでもどこでもC猫に付いて来るのだ。 盆暮れ、正月も、休日もなく襲ってくるのである。唐突にしかも周到に。 妹が感じたのもこの感情だったに違いないのだ。はっきりと分る。手に取るように分るのだ。その事もセラピストに話した。 その結果、もう出来ない、これ以上出来ない、という結論まで来たのである。 結果、このままだったらMedicationも検討するという事になった。 その事もきちんと前にセラピストにも言ったのだ。このままではMedicationを考えたほうが良いと思うと言う事は…。 Aはきっとこの治療をしばらく違う種類のものに変えた方が良いと言うに至った。EMDRでガンを叩くのではなく、痛みを和らげるのに少し集中しようと言ってきた。 自分自身でもこんなに極限状態に来ている事に気がつかなかったがセラピストも気がつかなかったらしい。 でも今日のセッションの後半にはセラピストも気がついたようである。 C猫がセラピストだったらきっとびびると思う。死んだ人の気持ちが分かるといわれた日には本当に死ぬ気がないかどうか確認するに違いないが、Aは結構冷静だったような気がする。 とにかくあまりの事に疲れてしまった。 もっともっとガンガン治療したいのに今のままではそんな事したらこっちが潰れてしまうなあ。 November 18, 2005 6:35pm (EST) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Nov 19, 2005 08:36:29 AM
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