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カテゴリ:本
もう消費すら快楽じゃない彼女へ(田口ランディ)
2006年1月20日読了。いろんな社会問題や個人的な体験からなるエッセイ的コラム集、27編。年代も多分いっしょくらい、Background的にもセラピストになる訓練を受けたそうである氏の作品に対してどうしてもまっすぐに見れないような気分がつきまとう。大体、私は日本のセラピーのあり方というのを全く信用していないし…。 自殺してしまったうつ病の友達の気持ちが彼のように分からないのは当たり前の事だと思う。それに対して引け目を感じるようならきっと辛~いだろうな、とか。セラピーをしてものすごい状況下に育った人や可愛そうな人に会う機会が多いが、やっぱりこの人の人生の一点に光を灯した位の気で行かないと中々大変な事になると思う。それほど問題は甘くないのである。編の中にはふ~ん、と少し感心するものもあれば、これは飛躍じゃないの~と思うものもあって…。 どう考えても眼が見えないより見えたほうがいいわけであって。まだ28歳なら慣れていくチャンスはあるし、本編にもあったように希望は見え隠れしているわけであって…。いろんな問題を提示するにつけて、こんな問題こそセラピーが必要なのに…と思って止まない。 神戸少年殺人事件の編は氏の言うとおり、日本人と言うのは感情論で論議しがちであると思うが連続殺人鬼や犯罪者の親や子が堂々と出てきて何かを語る国に住んでいる自分としては、最初に感じた、恥知らず、という感情が懐かしく思い出されたりした。日本という国はそういう意味では感情論のかもしれない虐待があったのではないかと思う一方、虐待を受けた子供が皆人殺しになるわけではないし、それが親のせいであるという風潮も納得しかねる。アメリカ人なら率直にどうしてああいう事になったか分りませんと言って、それで何の不足もないと思うのだ。本当の事だろう。専門家に鑑定してもらいたいです、と付け加えるだろう。 そして、自分の周りの日本に住む日本人達の責任を取らせたい態度には閉口する。一体どうすれば責任が取れると言うのだ。結局日本人って起こった事を心の中で処理する能力に疎いと思う。さあ起こった、そして…どうして起こったかを知るのは今後の対策のためであって、起こった事を奇跡のように引っ込めたり、起こった事に対して奇跡的な希望を見出すためにするものではないと思う。 人を何故殺してはいけないかって感情論意外に理由はあると思うなあ。やっぱり。小説も対してエンジョイしないくせにこの本を買ったのは氏特有の非日常の刺激を求めるからだろうな、と思う。同じようなBackgroundだから納得できない部分も多いのかも知れないから、普通の方にはお勧め。 C猫の書評をもっと読みたい方はこちら。 お勧め度:9 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 22, 2006 02:11:17 AM
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