黒子のバスケ事件 犯人の思考力に驚く
【黒バス脅迫事件】実刑判決が下った渡邊被告のロジカルでドラマチックな『最終意見陳述』があまりにも切ない■どうなんでしょう、この人。ちなみに「黒子のバスケ」脅迫事件とは、漫画「黒子のバスケ」の作者や関係先を執拗に脅迫した一連の事件です。実利を狙ったものではなく、犯人側には、何らかの満たされないものを世間にぶつけたいという気持ちがあったらしい。まさに八つ当たり犯罪です。■ただし、最終意見陳述書は、立派なものです。犯人が頭がいい人間であることがわかります。どこでねじれてしまったのでしょうか。それを犯人が自ら解説しています。■その姿勢は八つ当たりとは打って変わって誠実です。この人も、長い裁判の期間に、自らの生き方を省みる時間があったのでしょう。べたな言い方ですが真人間になったのだと感じさせる文章です。なんでもっとはやく、それができなかったのか。■他人事ではありません。私も歪んでいる部分はありますし、こじらせればさらに歪んでいく要素を持っています。それが踏みとどまっている理由は何なのだろう。結局は、少しばかり幸運であったということだと思います。■この犯人は、それ以前にも、物事を客観的に捉え、ロジカルに批判する能力を磨いてきたはずです。それは私なんかよりずっと強固で粘り強く鍛えられているような気がします。ただし、その能力は批判のための批判や揶揄や憂さ晴らしに使われていたということなのでしょう。私の周りもいます。そういう人。あえて社会参加せずに、自らの論理体系に収まっている人です。彼らはその論理的能力をネガティブであることを正当化させるために使うのですね。つまり、論理的思考を走らせる以前の感情の発露や欲求の形態に何かがあるのでしょう。■こうした能力のある人が社会に有機的な影響を与えるためにはどうすればいいのか。犯人は幼少期の感情的な発達に原因を求めているようです。だけど、同じ経験をした人が全て歪んでいくわけではありません。いや歪んでも、社会に踏みとどまる人がほとんどではないか。私の今のスキルではどうしようもないことですが、重要な課題です。