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カテゴリ:旅
オランダ・デ・ホーヘ・フェルウェ国立公園を吹く風はもう晩秋のそれのように肌に刺さる。 アムステルダムからバスを乗り継ぎながら片道2時間半の道のりをかけてやってきただけのことはある。 あたりはもうアムスのような箱庭的なメルヘン観光地の賑やかなそれではなく、牧草地が果てしなく広がり、乳牛や羊が草を食み、その奥深くには針葉樹の森がうねうねと幾重にも曲線を描きながら秋の高い空の下に続いている。 広大な国立公園の森の中央奥深くに佇むクレラー・ミュラー・ミュージアムの正面玄関に辿りついた時、決心はとっくについているつもりだった。 この世でもっとも敬愛する画家が描いた「夜のカフェテラス」 1人のどこにでもいるありふれた青年が真剣に人生の意味を考え始めるきっかけを与えた絵。 僕の青春はあの絵と始まり、以来心の底辺には常にあのカフェの灯りがあったように思う。 大切な人を喪い(そのことの本当の意味を噛み締めるのはずっと後になってからだけれど) それから10年 それとどう向き合い、或いはどう向き合ってきたか、それを心の闇からそっと照らす灯火だった。 数百年という時の洗礼を受けた絵画たちが静かに額縁に納まっている回廊を静かに僕等は歩く。 ゆっくりとそれらの一つ一つを見定めていく。対面していく。 時にはそれらのうちの何かが僕の心の何かと触れ合う。だけれどそれが何かは僕には上手く把握できない。 やがてその瞬間は不意にやってくる。絵はゴッホルームの中央に掛けられてた。 実物は心の想像よりも小さかった。 額縁は最近変えられたのだろうか?新品のような目新しさを醸し出していて、 絵自体が放つ深い質感との間でアンバランスさを際立たせている。 ゴッホはこの絵を描いたとき、弟のテオへの手紙でこう言っている。 「因習的な夜の闇から抜け出す唯一の方法によって描いた絵だ」 絵の技法のことを言っているのかどうかは遺された僕等には正確にはわからないけれど、 少なくとも、そこには純粋で直向な1人の人間の決意が見て取れる。 オランダのある作家がこう言っている。 「ゴッホの遺された手紙はオランダ文学史上最高の作品だ」 目新しい額縁。 そこに閉じられた120年前のアルル。 人の温もりに包まれた夜のカフェテラス。 そしてそれを描く孤独の画家。 多分目新しく無機質な額縁が絵と交じり合いそれらが一体となって見るものに映るには、なお幾十年の歳月を要するのだろう。 その頃にはもう僕はこの世にはいない。 これからも幾多の人々がこの絵と対峙し、時に自らの心の何かを揺り動かすことになるのかもしれない。 クレラーミュラーを辞するとき見上げた空は 10年前、あの11月の夕暮とダブって見えた。 「夜には昼よりも多くの光が存在する。僕はそう思うよ。」 V.Gogh 20代最後の旅はまだ終わらない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.11.01 20:27:05
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