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ふと思ったこと(674) New! マー坊007さん

2004.08.18
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カテゴリ:カテゴリ未分類
というようなことを、ふと、思いました。

福原 愛ちゃんの卓球の試合を観ていて、です。

愛ちゃん、勝ちを急ぐようにも見受けられる打ち方をしたとき、

自分からミスして、相手にあげてしまった失点が、かなり、あったように見受けられました。

私は、心の中で、

「愛ちゃん、卓球そのものになってね。」

と、祈ってました。

オリンピックの競技って、いろいろあるのだけれど、

自分なりに感じたことは、

各選手、自分の選んだ競技で、その競技そのものに自分がどれだけなりきれるか、ということが大切なことになるのではないかな、と、いうことです。

その競技になりきれた度合いの高かった選手は、おのずと、優勝するのではなかろうか。

その競技になりきるということは、その競技の真髄をどれだけ、自分の心・技・体で顕現できるか、ということであり、

そこには、実際、「敵」はいない。

競技の相手すら、ともに、その競技の真髄を体現しあう同朋であるのだ。

競技の真髄を体現すること、その究極は、「神」の領域、神技の世界、である、とも言えるかもしれない。

完全にして完成されたものが「神」と呼ばれるとするなら、
オリンピックで「金」メダルをとった選手は、
その競技の中で、限りなく「神」に近い人である、と、言えるかもしれない。

限りなく「神」に近いのだから、一番「神」近い人は、その競技において、おのずと、勝ち、優勝することしか起こりえない、のだ。

競技の相手も、実は、とことん、全身全霊を発揮してほしい、親友なのである。

相手の選手も、全身全霊、力の限り、を、発揮してください。

自分も、(自分たちも)、全身全霊、力の限り、を、発揮します。

そして、勝敗は、おのずと、「神」に近い順に、決まる。

オリンピックだから、こんなことを、考えてしまったのだろうか。

実は、オリンピックの競技は、戦うものでも、争うものでも、ないのである。

その競技の真髄たる「神」を、人間の、心・技・体をもって、互いに、顕現し合う、神聖なるものなのだ。

言葉を変えれば、勝敗は、その競技の「神」が、決める、とも、いえるであろう。

「神」に選ばれし者が、「金」メダルの受賞者なのである。

選手は、ただ、自分の選んだ競技で、自分の持てる、最大限の能力を発揮することに、全身全霊を傾けるだけなのである。





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Last updated  2004.09.02 13:54:45
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