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2016/05/08
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カテゴリ:水のメモ
○たとえば、こんなあなた

たとえば「ちびくろサンボ」が廃刊になったことが納得いかないあなた。
「女性専用○○」があって「男性専用○○」がないことに疑問を感じるあなた。
セクハラなど「○○ハラスメント」が受け手の被害意識だけで成立する・・という定義に、あやうさを感じるあなた。
性的少数者(LGBT)の一部の主張に首をかしげるあなた。
なにかというと「○○差別だ!」「○○蔑視だ!」などと差別をふりかざす人々にうんざりしているあなた。
残忍な殺人犯や性犯罪者が、被害者の尊厳ををとことんまで踏みにじったのに、犯人の尊厳は手厚く扱われていることに不条理や怒りを感じるあなた。
殺されて死んでしまった人は「すでに存在していないので、もう、人権はない」という法理論が理解はできても、納得してはいけないと心に誓うあなた。
今の差別議論は「なにかがおかしい」と気づいているが、なにがおかしいか分からず、モヤモヤしているあなた。

なぜ、世の中にはびこる「差別」という言葉に対する違和感がぬぐえないのか。


○笑止千万「子どもの人権」

そんなあなたに、不世出の天才、故・小室直樹の言葉を送りたい。

人権と民主主義はワンセットで切っても切れない関係にある。
だから、人権が理解できていなければ、民主主義も理解できていないことになる。
つい先日も少年法改正をめぐる問題で、大新聞がさかんに「少年の人権を守れ」などいった論説を掲げていました。
日本のマスコミは何かにつけて「人権、人権」と騒ぎ立てるのに、人権とはなにかという基礎知識すら持っていない。
そもそも人権というのは、万人に平等に与えられるもの。
人間でありさえすれば、誰にでも無条件で与えられるというのが人権の概念です。
しかるに、「少年の人権」とは誤用もはなはだしい。
子どもにだけ認められ、大人には認められない権利があるとしたら、それは子どもの「人権」とは言いません。
それは、子どもの「特権」です。
だから、少年法の問題にしても、「少年に特権を与えよ」という論説を書くべきなのです。

(小室直樹「痛快!憲法学」p77より抜粋)


○差別とは「不当な扱い」のこと

男性と女性。
白人と黒人。
健常者と身障者。
なにかが違っても同じ人間だ。だから同じ人権を持っている。
強い者が困っている者を助ける姿は美しい。
男性が女性の力仕事を代わり、健常者が身障者の車椅子を押す。
だが、弱い者が弱さを武器にし、振りかざして、相手を威圧する光景は醜悪だ。
「差別だ!」「配慮がたりない!」「人権侵害だ!」
誰かが、誰かを制限したり、傷つけようとする光景は、誰がやろうと反吐が出る。
なぜか?
それは、あなたが正しい人権感覚を持っているからだ。
人は平等であるべきと信じ、差別を憎んでいるからだ。

差別の定義をざっくり言えば「特定の社会カテゴリ(性別や人種、出身地、身体特徴)であることを理由に、不当な扱いをすること」である。
ポイントは「不当な」という点で、「正当な」扱いは容認される。
体力仕事だから体力テストをすると、採用されたのは男性ばかり、というのは正当だ。
だが、女性であるという理由だけで、応募すらさせないのは差別・・ということになる。


○ちびくろサンボはインド人?

絵本「ちびくろサンボ」はスウェーデン人の女性が、インド人の少年をモデルに、現地でよくある「サンボ」という名前をつけた作品だ。
これがアメリカに渡り、絵の褐色のインド人が黒人になったようだ。
そして、日本に輸入されて、長く愛された。
この間、インド人からも黒人からも出版社に抗議はなかった。
しかし、日本の堺市にある小さなローカル人権団体が90年代に突如クレームをつけ始めた。
「サンボは黒人奴隷という意味がある」といった具合で。
この団体は、当時のカルピスのマーク、手塚治虫のジャングル大帝など、手当たり次第クレームをつけていた団体らしい。

この抗議に対し、出版社はちびくろサンボを廃刊にし、図書館は絵本を閲覧できないようにした。
当時、インターネットはまだ普及していなかったが、これには全国で様々な反響や議論があったらしい。
ちびくろサンボが、黒人への差別や偏見を助長するとはどうしても思えなかったからである。(助長したとすればせいぜい親近感だろう)


○リトル・イエロー・エタ

これに対し、ある識者が「たとえば、アメリカで『リトル・イエロー・エタ』という童話があったらどうか。日本人は拒絶反応を示すだろう」と言ったそうだ。
※エタとは江戸時代の「えた、ひにん」の身分のこと。
なるほど。リトル・イエロー・エタとはよく考えた。
しかし、作者が「エタというのは、私の近所に住んでいる愛らしい男の子の名前から取ったのですよ。」と説明したらどうだろう。
そして、その男の子が実在したら。
実際、欧米でETA(イータとかイタ)という名前が存在する。
それでも、あなたは「日本人への偏見を助長する!」と抗議するか。
それとも「ああ、そういう意味でしたか」と笑うか。

これは人権感覚の問題だ。
作家の創造行為の産物である、絵本の廃刊を求めたり、改変を求めたりするのは相手の権利を制限する行為だ。
正当な理由なく、相手の権利を制限してはいけない・・・というのが、小室直樹のいう正しい人権感覚だろう。


○不幸だったら、他人を責めてもよいか

不妊症で悩む女性は、公園で楽しそうに遊ぶ母子を見て、深く傷つくだろう。
しかし、だからといって誰も「不妊症の女性に配慮するため、母子連れは公園で遊ぶべきではない」と言ったりしない。
その母子には、公園で遊ぶ権利がある。
母子連れだから来るな、と言うのは不当そのものだと理解しているから、言わない。
だが、不妊症の支援団体は言うかもしれない。
「母子連れは幸せだから、ある程度制限を受けてもしかたない」と。
そう、「○○だから、制限を受けるべき。」・・・これは、差別だ。

ふしぎなことに、○○に入るのが「女性、身障者、部落出身」などとなると、人々はこの言葉に烈火のごとく怒るのに、○○が「お金持ち、健常者、エリート」などとなると、あまり怒らない。
小室直樹が言うとおり、人権の概念が分かっていないのだろう。
強者も弱者も平等。
強者が弱者を腕力や権力で虐げてはいけない。
同じく、弱者も強者を世論誘導や印象操作で圧迫してはいけない。
強者がしようと、弱者がしようと、誰かが誰かを不当な理由で制限しようとする試みは人権侵害だ。


○「差別だ!」に気をつけろ

私たちは、いつも他人の存在に傷ついている。
優秀な人、強い人、健康な人、明るい人、誠実な人、若い人、美しい人・・・。
彼らはただ生活しているだけで、私を傷つける意図はない。
私は権利を主張するとともに、相手の権利に敬意を払うべきだろう。
だから「頼むから、視界から消えてくれ」という悪意ある言葉を今日も飲み込む。

「差別だ!」という言葉は告発というより、「制限されろ!」という悪意の呪いとして使われる。
だから、誰かに「差別だ!」というとき、それは本当に不当か、悪意があるか、実害があるかを慎重に考えなければならない。
「差別だ!」と主張する人に安易に同意してはいけない。
もしかすると、無辜の誰かを差別する行為になりうるから。
人権の概念が分かっていない人が多いから、差別は乱発され、先進国ほど差別という得体の知れない化け物を恐れ、迷走する。

繰り返す。「○○だから、制限を受けてよい」という思想が差別である。









最終更新日  2016/07/20 07:20:14 PM
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