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恨みの感情は、我々の抱く最も一般的かつ危険な感情なのです。
正確に言いますと、我々の持つ最も一般的かつ危険な感情であるのです。 次に、恨みの感情に対する心理学者の見解をお伝えしましょう。 恨みの感情は、失敗の原因が恨みを抱く相手の不公平さや不公平な取り扱いに起因するものとして、他人または我々自身に言い訳をしている状態をいい、習慣的恨みという感情は自己憐憫という形で我々の心に残り、やがて慢性の心の苦しみとなり、その感情を和らげようと他人の同情などに頼るようになります。 恨みの感情が自己憐憫に変わるような人ほど嫌な相手はいません。 こういう人は相手にどんな迷惑がかかろうとも、いつでも肉体的にも精神的にも感情的にも自分を満足させてくれることを期待するのです。 少しでも好意、注目または相手にとって有益なことをしてやろうものなら、心の中ではいつまでも感謝の気持ちを相手に要求をするのです。 過去にわずかばかりの好意を示したとすると、いつまでもその借りの埋め合わせを同情、注目、奉仕といった形で相手に要求をしなければ気がすまないのです。 繰り返し繰り返し恩返しを相手から期待できない場合は、その相手も恨みの感情の対象となってしまうのです。 このようにして、恨みの感情、自己憐憫という一つの段階から慢性の感情の苦痛、そして否定的思考へと広がっていくのです。 自己憐憫そのものは恨みの感情の一つの結果にすぎないのです。 それよりも燃えるような怒りから憎悪へ、そして復讐、挙句の果てには殺人または狂気へとエスカレートする恨みの感情があります。 恨みの感情は通常強い憎悪の気持ちへとエスカレートすることにより、意識の上または潜在意識の中では復讐を望むようになり、場合によってはそれが実行に移されることがあります。 残念ながら、恨みの感情、憎悪、復讐などの感情が結局殺人に至ることが多いのです。 必ずしも殺人の動機は復讐ばかりなどではないのですが、それでもほとんどの場合が復讐を目的としているのです。 我々が頻繁に味わう恨みの感情が、必ずしも殺人や狂気に至ることはないとしても、この感情を味わうと極度の感情の緊張、苛立ち、そして時には激しい苦悩を経験するものです。 このような体験を重ねないためにも、次の方法を身につけるといいでしょう。 1.恨みの感情を味わわないよう、自分を訓練すること 2.現在恨みの感情を味わっているのなら、それらをすべて排除すること (楽しみとさえ思えるような古くからある恨みをも含むのです) では、恨みの感情、それを防ぐ、それを排除する方法について考えてみましょう。 恨みの気持ちがすでに皆さんの感情コンプレックスに存在していたとしても、まずはその気持ちが正確にはどのような性質ものであるかを理解することにしましょう。 恨みの感情は過去の不快な出来事を感情の中で再現させている状態をいうのです。 恨みの感情の真の姿を知れば、それを防いだり、また防ぐことが無理であったら、それを排除する方法を見つけることも容易になるはずです。 より正確にいいますと、恨みの感情は我々の大切なプライドや我々個人、我々の人間関係または我々の所有物に対する攻撃が加えられ、我々が屈辱を受けたと感じる時に引き起こされる好ましからぬ反応であるのです。 恨みの感情は不快な出来事に対する反応であるため、不快な出来事と恨みの気持ちとして現れる反応とは何とかして切り離さなくてはなりません。 その方法はいくつかあると思います。 例えば、無視することです。 そうです。 この状態そのものを無視するのです。 実際に起きた不快な出来事や想像の中で再現される不快な出来事を無視できるほどの素晴らしい技能があれば、不要な苦痛から逃れることができるわけです。 過去に起きてしまったものは仕方のないこととして、それを何回も記憶の中で再現してみたところで、その過去が変わるわけではありません。 それならなぜこのような嫌な経験のために、不快な思いをしなければならないのでしょうか? 過去を変えることができないのなら、それを無視し、忘れ去ることです。 言うや易し行なうは難しと皆さんは思われるかもしれません。 そして皆さんが特に繊細な神経の持ち主であれば、皆さんの言い訳もある程度はもっともなことでしょう。 皆さんは傷つきやすい性格の持ち主でしょうか? 他人の言動に繊細に反応するあまりに、皆さんの大切なプライドを褒めない言動が少しでも耳に入るようなものなら、すぐに屈辱を受けたと思うのですか? ちょっとした人間関係における切り傷のようなものを深く痛々しく大怪我と思えるほど皆さんは敏感なんですか? それなら、これから皆さんのお役に立ちそうないくつかの提案をしましょう。 例えば、何事にも動じない気丈さを持つことです。 気丈になるのです。 普通なら繊細になるのをやめ、そしてもっと強くなるのです。 そのためには必ずしも軍隊に入って鍛えるということではありません。 皆さんを取り巻く環境が氷点下であろうが50度以上であろうが、常に皆さんの体温を36度から37度に保つサーモスタットがあるのです。 それなら皆さんの潜在意識の中で、皆さんには感情のサーモスタットがあり、どんなに冷たい言葉を浴びせられようが、どんなに激しい個人攻撃を受けようが、そのサーモスタットの働きにより、常に気持ちよく気楽に快適に悩みのない落ち着きを備えた皆さんを意識的に思い浮かべてみて下さい。 皆さんの周りで荒れ狂う感情の嵐に巻き込まれたり、反応してはいけません。 それよりも雷雨の中の時計の音の規則正しさのように、感情の上で全く動じないことです。 恨みの気持ちが起こりそうになったら、すぐにその感情を無視し、忘れることです。 あまり深刻に考えないで下さい。 また、他人が引き起こす不快な行動についても、あまり深刻に考えないことです。 それより別のことを考えるのです。 何しろ皆さんの心の中は同時に二つの異なった考えを持つことができませんから、恨みの気持ちを抱きそうになったら、すぐに他のことを考えるのです。 心身共々他の事に没頭するのです。 仕事に遊びに一生懸命になるのです。 それでも、どうしても恨みの気持ちが消えないというのなら、心の中で大笑いし、「あっちへ行ってくれ。忙しいんだから、邪魔をしないでもらいたいね」と言うことです。 恨みの感情を抱くことがないほど寛大になることです。 「自分の嫌うことについて1分たりとも考えないことだ。」 これはアメリカ第38代大統領であったドワイト・アイゼンハワー氏の言葉です。 しかし、もしすでに恨みの感情を抱いていたとしたら、それを排除するには、この場合も恨みの気持ちを抱かないための方法を採用すれば、すでに存在する恨みの気持ちも消えていくはずです。 多くの人は何らかの恨みを持つことを自然の摂理と受け止めているのです。 でもその感情がしつこく残り、不幸やそれ以上の悪状況を引き起こす場合のみ、初めてその時点にある恨みの感情を排除しようと決心し、二度とそういった感情を持つまいと心がけるようになるのです。 ここでは恨みの気持ちの本来の姿やそのためにどれだけの不幸を味わうことになるか、そしてこの感情を防ぐにはどうしたら良いかについてできる限り明らかにしているのです。 今皆さんが恨みの感情を持ったり、恨みの感情にとりつかれているのであれば、その気持ちを解消する日が遠からずやってくることでしょう。 しかしもし、根の深いしつこい恨みの気持ちにとりつかれているのであれば、その他の方法も必要となってくるのです。 一つには、皆さんが恨んでいる相手の立場に立って、理解に努めることです。 あるいは、皆さんに不快感を味わわせるだけの正当性が相手にはあったのかもしれません。 こちらを不幸のどん底に突き落とした相手のこの上ない不快な行為を客観的に慎重に分析してみると、相手の行動は先にこちらで引き起こした行動を再現したものであることに気づくのです。 こちらの引き起こした行動に敵意を持った相手は、逆にこちらが不快に感じ、恨みを引き起こさせる行動に出たわけなのです。 皆さんの恨みも正直に客観的に分析してみれば、多くの場合、そのきっかけを作ったのは皆さん自身であったり、皆さん自身恨みを抱くようになるまで事態をエスカレートさせたことに気づくはずです。 これらの場合は、皆さんの恨みは存在の根拠を無くすことになり、そして原因を追究できたのであれば、恨みの気持ちもまもなく消えるはずです。 そして次に皆さんはもう一つのことをすると良いかと思います。 相手にそれだけ恨みと行動を起こさせたのであれば、皆さんの方から相手の恨みの感情を解消してあげなければなりません。 その方法は、謝罪したり、直接または間接に相手の恨みを解消するのに適当とされる有益な手段を講じることができます。 相手に恨みの気持ちが残っている限り、相手は皆さんが不快に思う行動をやめないでいることでしょう。 そしてこの激烈なサイクルは繰り返し続けられるのです。 皆さんへの何気ない言葉、中傷、無礼、その他の不快な言動は意図的に行われたことではなく、相手が自分の思考、計画、問題、そして事態に没頭するあまりに引き起こされたものに気づくものです。 もし皆さんを温かい歓迎の言葉で迎えてくれたのなら、どんなにか皆さんは嬉しく思うかなどと相手は考えていないかもしれません。 私の場合は、今では温かく迎えられようが、冷たくされようが、全く気にならないようになりました。 私は別に選挙に立候補しようとしているわけでもなく、好感度を上げようとしているわけでもありません。 常に自分から会話のきっかけを作り、相手の関心を得ることができます。 あまりうまくいかない時もありますし、うまくいくこともあります。 ですから、あまり自分や他人を深刻に捉えないことです。 不快な恨みの感情を抱く価値はないはずです。 恨みの感情は一般的な人間の問題として、また皆さんが恨む相手の野心や見解などの関連性について客観的に理解しようと努めることです。 そうすれば、相手からすれば皆さんが不快に思う気持ちを味あわせるのは正当または正当と思い込んでいることが理解できるはずです。 そしてやがて必要な自己訓練を加えれば、皆さんの恨みは忘却の彼方へと消え去ることでしょう。 これは一つの基本的思考だといえるでしょう。 (編集後記) 本日は昼と夜の食事担当でした。 母が風邪で終日寝込んでいたためです。 実家でもちょくちょく料理するのです。 一人暮らしの時よりも数をこなしているので、手際は良くなってきているみたいです。 昼過ぎに父と温泉に行きました。 (湯⇒湯⇒サウナ七分⇒涼む三分⇒サウナ十分⇒涼む三分⇒体を洗う⇒終わり) 一人でも温泉には出かけるのですが、その時は二時間位サウナと水風呂を行き来する修行僧を演じております。 風呂の後の牛乳が格別に美味いです。 私の家の付近にはコンビニエンスストアがあるのですが、夜間は深夜族の溜まり場となっています。 彼らの持て余したエネルギーをもっと自分にとって、有意義な方向に使ってもらえたら、少しは夜の街も平和になり、日本も良くなると思うのは私だけでしょうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年01月11日 23時53分16秒
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