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テーマ:武田信玄(5)
カテゴリ:山梨県
大永元年(1521年)1月3日、信虎夫人は戦火を逃れる為避難する途中、積翠寺で男児を産みました。後の武田信玄です。
積翠寺(後方は要害山):初名は石水寺といい、鎌倉末期に夢窓疎石の弟子竺峰(じくほう)和尚が中興しました。境内に産湯の井戸や産湯天神等が残っています。 要害山からの富士山 要害城・門跡(もんあと):この門から主郭までは、階段状に曲輪が連続し、道が何度も折れ曲がり、堅固な造りをみせています 堀切跡(ほりきりあと):狭い土橋を残して尾根を切った跡です。一度に大勢の敵兵が城の背後から主郭部に進入するのを防ぎました。要害城では石積みを用い、深く広い堀切を造っています。 竪堀跡(たてぼりあと):土橋を残した堀切から竪堀となる特徴的な遺構です。 2019年は甲府開府500年、2020年は要害山築城500年、そして今年2021年は信玄公生誕500年の年です。 武田家ゆかりの地を訪れてみませんか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.05.14 06:00:07
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