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カテゴリ:坂田 博昭
水曜日の担当は、坂田博昭です。
今週は、門別の開催をお休みして、東京で別の仕事をしております。 明日だけは門別に行く予定だったのですが…台風で東京での予定が変わってアウト。何とも残念ですが、仕方ありません。 もう、南の海の上では次の台風がスタンバイしているそうで…10月に入って、こんなに次々と日本列島に「ストライク」のコースで台風が来るとは、本当に妙な気候ですよね。また影響を受けそうな感じがして、いまから心配です。来週は北海道に移動しなければならないし。 次の台風はかなりの勢力らしいんですけど、大丈夫だろうか。
それはともかく。 日本時間の日曜日夜に行われた凱旋門賞。日本から遠征の3頭は大変残念な結果に終わりました。 言い訳の出来ない完敗。TV中継の出演者も、そして翌日の新聞紙上に掲載される記事を書く記者の方々も、何か戸惑っているかのような印象を与えた戦後評に、見る側の言葉にならないショックを感じ取りました。馬とその周囲の方々の心中もまた察するに余りあるものがありますが…これが現実。改めてそれを思い知らされた一戦と言えるでしょう。
先だってのワールドカップの時だったか、面白い話題を新聞で目にしました。それは、予選敗退となった日本代表ないしその選手たちは、日本国民から責められるべき存在なのか、という話です。 確かに当時の空気感では、敗れた日本代表に対して様々な空気感が渦を巻き、それが様々な形で報じられていたことを、いま合わせて思い出します。そこまでサッカーに深い興味を持っていない私は、そんな状況を見て「ああ、サッカーって、凄いスポーツなんだな」と感心していたのです。単に外から見ているだけの観戦客が、敗れた日本代表のプレーに対して真剣に怒ったりしている。そしてそんな怒りに対してまた反論が出る。反論は出るけれども、「負けたけど頑張った」的なムードが一切出ない、ある種の厳しい視線…。私は、これこそある意味スポーツ競技の一定程度「成熟した形」なんだろうなと思っていました。
翻って、我らが競馬の、凱旋門賞。 日本の馬が「しかるべく」注目を集める中で、しかしながらこのような結果となったことに対して、私たちはどのような態度で接するべきなのか。 先に書いた報道の「迷い」は、そうしたことに対する姿勢が整っていないということ、ひいては競馬という競技の存在そのものがまだそこまで「熟れていない」ということの顕れなのではないかと感じます。 そこは、私も伝える側の端くれにあるものとしては、反省もしつつ、強い思いをもまた持っているつもりです。
確かに、トレヴの連覇という偉業、とても素晴らしいものを目にすることが出来たことには違いありません。 しかし、日本の馬がこれだけ期待を背負いながら負けて、少なくとも伝える側が「いいもの見た」はないだろうとやはり思います。 勿論、「それでもよく頑張った」などと言っては、むしろプレイヤーたちに対して失礼なのではないかと思うこともあります。これは様々なバックグラウンドを背負った大人たちが行うスポーツ競技であり、子供の運動会の応援ではないのですから。
日本の競走馬は、客観的に見て確かに強くなっているんでしょう。 しかし、「日本の競馬」がそこまで成熟しているのかどうかとなると、果たしてどうでしょうか…。やはり今回も相当強いはずの馬が行って勝てなかった要因をそうした視点で考える上では、今回の凱旋門賞は一つのきっかけになりそうな気がします。 勝ったトレヴのジョッキー、ティエリ・ジャルネの表情がカメラに捉えられた瞬間、微かに感じたことがありました。あの涙と、そして涙が伝う顔に刻まれた皺が物語ることは一体何なのか。それを日本の競馬に携わる、あるいは私も含めて見て楽しむ人たちの多くが理解したとき、日本の馬があと少しだけ凱旋門賞というタイトルに近づくことが出来るかも知れませんね。 あのシーンは、確かに、単なる感動を超えたインパクトがありました。
今回は、文字ばかりでゴメンナサイ。 来週は、もう少し写真も含めて明るい話題に出来ればと思います。
(以下木曜日になり追記しました) 現地から帰ってきた方々からの情報が集まってきたのか、水曜日あたりから本格的な論評がリリースされるようになってきました。 競馬も、捨てたものではないなと思います。 でも、サッカーにおけるブラジルの距離に比べると、競馬におけるフランスの距離は随分遠いような感じがしますね…。 まだまだこれからなんだと思います。私も、レースや馬だけでなく「競馬を見る目」を養いながら、客としても、競馬をお伝えする立場としても頑張って行きたいと改めて思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年10月09日 11時38分35秒
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