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カテゴリ:横川典視
木曜担当のよこてんです。
先週のこのブログで「合格すれば騎手引退になります」と書いた小林俊彦騎手。3月17日に発表された『平成26年度 第4回調教師・騎手免許試験新規合格者』の「調教師」の欄に小林俊彦騎手の名前がありました。 これにより小林俊彦騎手は騎手を引退、新シーズンからは「小林俊彦調教師」として新しいスタートを切る事になります。 調教師免許の交付は3月31日付、それを受けてからの調教師業務開始となりますので、小林俊彦調教師の“初出走”は早くて2回水沢開催(4月18日~)からになると思われます。 という事で今回は、写真を引っ張り出しながら小林俊彦騎手の思い出を振り返ってみようという企画。 小林騎手といえばどの馬を思い起こしますか?最近のファンの方だとライズラインとかになるんでしょうか。少し古いとテンショウボスとか。もっと古いファンの方ならモリユウプリンスが挙がってくるのではないでしょうか。 ★95年南部杯に出走したモリユウプリンス。隣はライブリマウント トウケイニセイ・モリユウプリンスの「TM時代」を作りあげたモリユウプリンス。キャリア末期は他の騎手が手綱をとりましたが彼の全盛期の鞍上は小林俊彦騎手。ライバルのトウケイニセイの鞍上が菅原勲(元)騎手だった事もあり、馬対馬だけでなく鞍上対鞍上についてもライバル物語の構図を重ねていたファンは多かったのではと思います。 ★こちらは95年の北上川大賞典出走時のモリユウ。旧盛岡競馬場の最後の重賞勝馬ともなりました 次は、グランドカイザーなんかどうでしょうか? 岩手のアラブ時代の最後を盛り上げた一頭。南関東から岩手に移籍して岩手では17戦10勝、うち重賞4勝。なにより“道中は最後方追走、直線で一気に追い込んで逆転”という個性溢れるレースぶりが強い印象を残しました。 「そこから本当に届くの?それでいいの?」と何度も思ってしまう道中。見る間に先頭に追いつき、あまつさえ突き抜けてしまう直線。まさしく「超」を付けたい個性派でしたね。 ★グランドカイザー。この馬の追い込みは何度見ても鳥肌モノ テンショウボスは、自分はどちらかといえば「主戦・阿部騎手」のイメージがあって、小林騎手は3歳時のライバルだったオウシュウクラウンの主戦だった・・・という印象。しかし2007年、みちのく大賞典優勝、クラスターカップ3着、マーキュリーカップ4着と大活躍だった年の鞍上は小林騎手でした。オッズパークGPのレコードV、2008年の佐賀記念遠征。テンショウボスの活躍ぶりを思い返すと、自然と小林騎手の顔が目に浮かんできます。 ★佐賀記念出走時のテンショウボス。鞍上は小林騎手 この2005年から2008年くらいの間はグレードレースで活躍する小林騎手の姿を何度か見る事ができました。 例えば2005年1月の川崎記念。ウツミジョーダンで挑んだ小林騎手は6番人気の同馬を3着に押し込んでみせました。もちろん地方勢では最先着。引き上げてきて馬を降りた小林騎手を取材陣がわっと取り囲んだ瞬間、そのシーンが今でも目に浮かんできます。岩手所属馬にとっても久しぶりのGI上位入線でしたね。 ★川崎記念、ウツミジョーダン 同年の12月、全日本2歳優駿ではアテストを2着に持ってきました。グレイスティアラとモエレソーブラッズが互いを意識した戦いを繰り広げる中、淡々と自身の競馬を貫いた鞍上の騎乗ぶり。いかにも小林騎手らしいなと思ったものでした。 ★3/4馬身差の2着。馬連万馬券を獲ったのも良い思い出 グレードレースで上位には来るけれどなかなかタイトルには手が届かなかった小林騎手でしたが、ついに栄冠を手にする日がやってきました。2006年、エーデルワイス賞GIII。パラダイスフラワーとコンビを組んでの優勝です。自分も旭川競馬場で見ていました。カメラの調子が悪くて良いゴール写真を撮れなかったのが残念。 ★旭川競馬場での口取りシーン ★98年クラスターカップでの2着。これも僅差でしたね 2009年はコスモバルクの手綱を任され、OROカップで優勝に導きました。こういう大役を淡々とこなせる所も小林騎手の“強さ”だったのでは。 ★09年OROカップ、コスモバルクに騎乗して優勝 基本的には勝っても淡々としている小林騎手が、珍しく派手にガッツポーズをして見せたのが2008年の不来方賞。ピンクゴールドと共にゴールに飛び込んだ小林騎手はムチを握った右手を大きく突き出しました。 この“珍しいガッツポーズ”に関してレース後にうかがった所、「良いレースをしてくれたのでちょっと気持ちが盛り上がっちゃったから」という感じの答えが返ってきたと記憶しています。“勝ったらやってやろう”と狙っていたというよりは“身体が動いちゃった”みたいなお話しで。 一昨年はライズラインとのコンビが印象的でした。2013年11月の南部駒賞、これが小林騎手にとって最後の重賞タイトルになりましたね。一杯一杯に追い続けての勝利で、ご本人的にはもう少し楽に勝ちたかったようですが、ゴール写真はおかげで良い絵柄になったと思っています。 ★13年南部駒賞 騎手として通算3788勝、さらにJRAでも5勝。間違いなく「大騎手」なわけですが、小林騎手自身は「若い頃の自分は、将来こんな成績を残せる騎手になるとはとても思っていなかった」と言われます。 というのは、デビューが1982年の10月なんですけども初勝利が翌年の4月。年をまたいじゃったんですね。 後々“一流”と呼ばれるような騎手はデビュー間もない時期からリーディング上位を争うような成績を残している。そこまではいかないまでも、人並みの腕があればデビューからそんなに間をおかず勝てる。それができなかった自分は「そこそこの騎手で終わるのだろうなと思っていた」のだそうです。 もちろん、本当に“そこそこ”の騎手ならばこんなには勝てないわけで、小林騎手の場合は才能がフルに発揮されるまでに少し時間を要した・・・という事でしょう。でも、最初は芽が出なくてもいずれ開花する時が来る・・・という“道しるべ”。後に続く立場からはそういうふうに見させていただいても良いのではないでしょうか。 騎手生活34年、お疲れさまでした。調教師としての初勝利の時を楽しみにしています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年03月20日 10時36分54秒
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