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2016年10月19日
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カテゴリ:坂田 博昭

 水曜日の担当は、坂田博昭です。 

 北海道の地域に根を下ろす、競馬の場外発売所を巡る旅。
 いよいよ終盤に差し掛かってまいりました。

 今回訪れるのはこちら!



 北海道を代表する観光都市・小樽





 札幌から小一時間。石狩湾に面した小樽は、海と陸地とを繋ぐ大切な拠点として、ものすごく古くから栄えてきました。

 詳しくは追々触れるとして、まちの様子を見てみましょう。

 小樽運河

 小樽を訪れる観光客の数は、年々増えていまではおよそ800万人。
 一般の旅行のほかに修学旅行の訪問先としても知られ、更に近年では外国人観光客の訪問が着々と増加。実際に小樽のまちを歩くと、様々な民族の外国人観光客の方々に巡り会います。



 いま、日本を訪れる外国人観光客の興味は早くも「もの」から「こと」へ移っていると言われています。
 確かに「もの」なら札幌でしょうが、「こと」なら間違いなく小樽。
 このまちの持つ独特の雰囲気は、私たち日本人が訪れても特別な旅情を誘うわけで、外国からのひとびとには余計に特別な思いを提供する場所になっているのでしょう。

 元々は、小樽の港から陸地の倉庫への荷揚げのために整備されたという、この小樽運河。
 古く大正の時代から港周辺の物流を担ってきたこの運河も、港が大規模化し、港湾や道路などの設備も整備されていくにつれて、その役割を失っていきました。

 一時は運河も倉庫もうち捨てられていたそうなのですが…そのままうち捨てられていたものが、時の流れを越えて観光の目玉として再生したのがこの場所。



 古い倉庫群も商業施設として再生し、観光客を迎えています。



 小樽港は、明治の時代に北海道への本格的な植民と開拓が始まった当初から、海路と北海道の内陸各地とを結ぶ重要な拠点として、栄えてきました。
 こうして港の埠頭に立つと、多くの開拓民たちがまずこの小樽の港を目指し、そしてここからその先の目指す土地へと向かっていったその姿がしのばれます。



 明治13年に北海道最初の鉄道として開業したという官営幌内鉄道(旧手宮線)の跡が、史跡として小樽の街中に残されています。
 古くは内陸で採掘された石炭を中心として、様々な物資とひとびとが、この2本の鉄路の上を行き交っていたんですね。



 旧日本銀行小樽支店 1912年に建てられた建物が残っている…

 人や物の動きに合わせて、お金の流れもここ小樽を中心として広がり、かつては小樽のことを「北のウォールストリート」と呼ぶほど金融機関が、そしてお金が集まっていたそうです。



 かつて金融街があった一体の建物は、小樽市が文化財として保存に力を入れています。
 運河の近くの一角は、さながら往時のこの小樽の町を感じることが出来るエリアになっています。

 温故知新…古きを感じることにより、新たなものを知って思いを致す。
 旅の中でそのような感覚を味わえるのが、観光地としての小樽の魅力と言えるでしょう。




 函館本線・小樽駅。札幌から近く、バスで訪れる観光客も多い中、鉄道としての存在感をいまでも持ち続けます。
 札幌から函館に向かう特急は、ここを通らず千歳をショートカットして進みますが、元祖函館へ向かう鉄路は、こちらが正統。



 函館の駅から鉄道に沿った一帯のエリアが、小樽の市街地。駅前の国道には、背の低い地域のまちらしい建物が建ち並んで、「それらしい」雰囲気を醸し出しています。



 小樽市役所

 小樽市は、人口12万人あまり。
 町の歴史としては、江戸時代より以前から和人が入植したという記録があるぐらい、北海道で最も長い歴史があるのがこのまちです。

 戦後20万人以上あった人口も時を経るにつれ減っていき、いまのこの規模。
 内陸部の鉱工業や漁業の盛衰のありさまが、このまちのありように影響を与えてきたのでしょう。

 いま、観光で再び浮かび上がろうとしているこのまちではありますが、それを支えるのもそこまで長く刻まれてきた歩みであることは、間違いありません。



 小樽の町には、こうした長屋のような「市場」が至る所にあります。
 ここは小樽駅から近くて規模も大きい「中央市場」



 このようにウナギの寝床のように細長く、魚や肉などの生鮮食料品やパン屋、総菜屋などの加工食品の店が連なっています。

 空き店舗になったスペースに、往時の小樽の様子をしのばせる場所がありました。



 「ガンガン部隊」と呼ばれる、いわゆる行商人「担ぎ屋」さんの記録。

 戦後から昭和50年代あたりまでの間、様々なものが集まっていた小樽のこうした市場でものを仕入れ、それを担いで鉄道で札幌などに行って売りさばき生計を立てていた、ガンガン部隊のおばさんたちで市場はあふれていたそうです。見ているだけで往時の小樽のまちの活気が伝わってきます。

 「ガンガン」と呼ばれるのは、ブリキ缶を背負ってそこに商品を入れてものを運んでいたことからついた呼び名だそうで。



 こちらは、小樽駅から歩いて15分ぐらいの少しまちはずれの方にある、妙見(みょうけん)市場。

 世にも珍しい、川の流れに沿う形で川の真上に建物が建っている場所です。



 残念ながら、この市場は大分営業している店が少なくなってしまいました。

 2~3ヶ月に一度の売り出しの時に人々が集まって市が立つ、という感じの場所になっているようです。



 それでも、残って頑張っている店もあり!



 市役所近くの歓楽街。現地の方に伺ったところ、ここは元々踏ん張っていたところに、観光客が増えた影響もあって最近はまた活気が戻ってきているとのこと。

 古くからある歓楽街と見うけられますが、ここも時代の流れに漂いながらこうしていまに生きているのでしょう。



 逆に、中途半端に古い場所は厳しくて…
 町中のアーケード商店街はシャッターが閉まっている店が多くてお寒い限り。
 すぐ近くに運河や古い街並みなどの観光地の賑わいがあるだけに、こうした雰囲気が逆に際立ってしまうような感じがしました。



 見るほどに、本当に様々な表情を目にすることが出来る小樽のまち。
 この場所にも競馬が息づいています。

 次回、ここ小樽の場外発売所を見ていくことにしましょう。






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最終更新日  2016年10月19日 01時21分58秒



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