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カテゴリ:横川典視
木曜担当のよこてんです。
皆様明けましておめでとうございます。新年最初のブログという事でカッコイイ事を書こうと思ってはいたのですが、なにぶん地元の競馬がないのでなんともかんとも。 十数年ぶりに、恐らくは21世紀になって初めて“競馬場にいない年末年始”となりました。まあ、こういう状況でもありますし、競馬の事を難しく考えずに頭を冷やす時間が取れたのは良かったような気もします。 家族は「もうちょっと早く“無い”と分かっていれば、初めての年越し旅行に行ったのにねえ」と呑気な事を言っておりましたが。分からんし(^^;)。 さて、木曜日放送のグリーンチャンネル「あいちゃんねる」では『岩手競馬・平成の名馬』というお題で、いよいよ去りゆく平成を振り返るお話を採り上げました。その中で自分はサカモトデュラブとグランドカイザーをピックアップしたのですが、時間の都合でお話しできなかった馬も含め、もう少し続きを書いてみたいと思います。 ■サカモトデュラブ(1993年生まれ・現役期間1995~2003) 1998年クラスターカップ 1995年、平成で言えば平成7年のデビュー。その年は旧盛岡競馬場のラストイヤーでもありまして、本馬も2度、旧盛岡競馬場で走っています。 この平成7年は地方競馬とJRAとの交流競走が大幅に拡大されたいわゆる『交流元年』とされています。それまでは地方競馬でデビューした馬がJRAのレースに挑戦するには、ごく一部のレースを除いては移籍しなくてはならなかった。それがこの頃から地方在籍のまま挑む道が開かれました。牝馬クラシックに挑戦したライデンリーダーが有名になりましたがその他にもたくさんの馬が全国各地からJRAのレースを目指した。サカモトデュラブもその中の一頭でした。 岩手で3連勝の戦績をひっさげてJRA新潟のダリア賞に出走、初めての芝にもかかわらず2着を確保すると、続く新潟3歳ステークスでも3着に健闘。秋には福島3歳ステークスで5着にも入っています。 地方の交流競走にも積極的に挑み、北海道スプリントには3度、東京盃には4度出走。1999(平成11)年には見事東京盃を優勝しました。岩手競馬所属馬で唯一のGII勝馬です。 キャリア成績を眺めて分かる通りに典型的な短距離の先行馬。本馬が活躍した頃の岩手競馬では短距離のレースが少なくて、適距離で戦うためには遠征せざるを得ない面もあったと思います。今みたいに芝1000mの重賞とかあったなら、3~4年くらい連覇し続けたかもしれません。 ■グランドカイザー(1993年生まれ・現役期間1995~1998) 1998年アラブ大賞典 アラブの馬です。最近の若いファンの方だとアラブ競馬を見た事がないという人も多いんじゃないでしょうか。 本馬が生まれた1993(平成5)年頃はまだJRAでもアラブ系競走が行われていて1日1レースくらいは(土日で1レースくらいだったか?)見る事があっただけでなくアラブ系の重賞競走もありました。地方競馬では全国で多数のアラブ系の競走が行われていましたし、兵庫・福山・益田などはアラブ専門でしたよね。岩手も開催日によってはサラ系のレース数よりアラブ系のレース数の方が多い日があったりするくらい。 しかし、1995年をもってJRAのアラブ系競走が廃止されると地方競馬のアラブ系競走も急速に減少。元々は南関東でデビューしたグランドカイザーも、そこでのアラブ系競走廃止に伴って岩手に移籍してきた馬の中の一頭になります。ちなみに言えばグランドカイザーの全兄にあたるグランドサイトという馬もほぼ同時に岩手に移籍してきています。 「アラブのレースはスピード感が無い」とかいわれて、レースのタイムを見ると実際そうではあったのでしょうが、レース内容に目を向ければ個性的な戦いをする馬がアラブには多かったように思います。グランドカイザーもそうで、これがもうびっくりするような追い込み馬。正確に言えば「捲り馬」でしょうか。道中最後方からジリジリと追い上げてきて、それでもやっぱり間に合わないか・・・?と思った所から末脚爆発、最後はきっちり帳尻を合わせて差し切るというレースは非常に見応えがありました。 岩手のアラブ系の大レースが無くなったのが1999年、平成11年。グランドカイザーは1998年に引退しましたが、岩手のアラブ系レースの歴史の掉尾を飾る一頭でした。 ここからは番組中で触れる事ができなかった馬。 ■トニージェント(1997年生まれ・現役期間1999~2005) 2003年かしわ記念 岩手競馬に残る記録としては2002(平成14)年から2004(平成17)年までの桐花賞3連覇&同じ期間でのトウケイニセイ記念3連覇。それから本馬が初めて重賞タイトルを獲った2000(平成12)年のダイヤモンドカップは村上忍騎手の初重賞制覇だったりもします。 地元でずっと戦っていた印象が強いトニージェントなのですが、実は遠征でも悪くない結果を残しています。2003(平成15)年の船橋・かしわ記念、上山・さくらんぼ記念では共に4着。2005(平成17)年には佐賀・佐賀記念と名古屋・名古屋大賞典で共に5着。いずれもダートグレードなのですからね。 ちょうどメイセイオペラやトーホウエンペラーが各地の大レースを勝ちまくった直後の時期だったのでそれに比較すると目だたない感じになってしまいましたが、今思えば全く悪くない。今改めて成績を調べてみても、どのレースも地方最先着か地方2位だったのですがらたいしたもの。担当厩務員さんと今でも話すのですが、もうちょっと運が向けばグレードレースを勝てた馬だったと思います。 ■ナムラタイタン(2006年生まれ・現役期間2009~2017) 2014年みちのく大賞典 岩手では2014(平成26)年からの在籍ですが、その間に重賞を12勝。3シーズンに渡って王者として君臨し続けました。ある程度高齢になってからの移籍でもあり岩手在籍時の後半は思うようにレースを使えない事もありましたが、要所要所はきっちり締めてのこの戦績。“憎いくらいに強い馬”がいるのは、それを倒そうとするライバル馬も全力を振り絞る競馬をするわけで、それはそれで良いものだと思ったりします。 余談になりますが、本馬の岩手在籍時は坂口裕一騎手がずっと主戦を務めておりましたが、一度だけ他の騎手がまたがる可能性がありました。それは本馬が岩手に移籍してきた2014年。みちのく大賞典を勝ってマーキュリーCを目指そうという時に坂口裕一騎手がレース中に負傷して騎乗できなくなり、マーキュリーCには他の騎手で挑まざるを得なくなったのです。 実際、その騎手で追い切りまで済ませたものの、最終的には調子面が万全では無いという事でレースは回避。「坂口裕一騎手以外が騎乗するナムラタイタン」は幻となりました。さてその騎手は・・・。 ■ロールボヌール(2012年生まれ・現役期間2014~) 2015年ダイヤモンドカップ 印象的なレースをしているとはいえ岩手では7戦だけですし、古馬の大レースを勝っているわけでは無いので“名馬”と言うには実績が足りないのかもしれませんが、“名馬”になる可能性は十分にあった馬だったのは間違いないはずです。 一番印象に残るのはダイヤモンドカップですね。2着以下をぶっちぎったのは相手関係を思えばある意味当然として、印象に残るのはその着差ではなく内容です。直線の瞬発力がとにかく素晴らしかった。レースの写真を撮りながら、そのあまりの瞬発力、あまりの加速力に「ファインダーから外れて飛び出していってしまうんじゃないか」と感じた馬はロールボヌールの前には一頭だけ。あのメイセイオペラです。 あの感覚は、他地区のグレードレースや、それこそ海外のレースを撮っていても感じた事がありません。ちょっとオーバーかもしれませんけどそれくらいに言いたくなるものです。 この馬が秘めていた性能は本当に計り知れなかっただろうと、今でも思っています。もっと大きな舞台でこの馬の本当の全力の走りを見てみたかったですね。 岩手競馬の“平成”を飾る馬はもっとたくさんいますよね。メイセイオペラ、トーホウエンペラーはもちろん、その前の世代になるトウケイニセイやモリユウプリンス、もっと遡ってスイフトセイダイ・グレートホープ。ユキノビジンを挙げてみるのも良いかもしれません。これらの馬たちのように「戦績が凄い馬」のみならず印象に残る馬・記憶に残る馬という事なら、もっともっとたくさん名前が浮かんできます。 皆さんの平成の名馬は、果たしてどの馬、どんな馬でしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年01月04日 03時15分35秒
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