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2022年08月04日
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カテゴリ:横川典視
木曜担当のよこてんです。

 今回は「レコードタイム」のお話です。

 7月31日に行われた芝の地方競馬全国交流重賞『せきれい賞』。船橋からの遠征馬アトミックフォースが優勝したのですが、その勝ちタイムが2分28秒5。旧レコードを25年ぶりに更新するという“快挙”になりました。


★第44回せきれい賞優勝/アトミックフォース号

 旧となったレコードタイム、2分29秒0が達成されたのは1997年6月22日に行われた『東北サラブレッド大賞典』、出した馬は岩手のロイヤルハーバーでした。
 かつて「東北○○」とついたレースがそうだったように東北サラブレッド大賞典も岩手・上山・新潟の三場持ち回りで行われた古馬の東北交流重賞。1979年の第1回から水沢→上山→新潟と規則正しく行われてきて、“7回り目”の1997年の第19回、岩手開催の順番になったこの年、これまでの水沢から前年にオープンしたばかりのOROパーク新盛岡競馬場へ、さらにダートから芝へと大きく条件を変えての施行となりました。
 そして遠征馬4頭・地元馬8頭の12頭で争われた第19回東北サラブレッド大賞典を制したのがロイヤルハーバー、勝ちタイムが2分29秒0。


★東北サラブレッド大賞典、パドックでのロイヤルハーバー


★ゴールの瞬間。これが25年続くレコードが出た瞬間でもありました

 自分もこのレースを見ていましたけども、そのレコードタイムが25年も生き残るとは、その時はとても思わなかったですね。

 ロイヤルハーバーは1993年にJRA中山でデビュー。旧4歳1月のデビューでしたので、牡馬はナリタタイシン・ウイニングチケット・ビワハヤヒデと、牝馬はベガやユキノビジン、ホクトベガと同じ世代になります。
 JRA時代には交流グレード化前の群馬記念を制すなどダート戦線で活躍。97年の4月から岩手に移籍すると初戦でサカモトリードワンやプレザントを破り、二戦目のシアンモア記念では古豪ミヤシロテュードオにこそ敗れたもののヘイセイシルバーやユウユウサンボーイといったTM時代のベテラン勢に先着。トウケイニセイの引退によって生じた群雄割拠の混戦に断を下す存在になるかと思われました。

 ただ、97年といえばそう、メイセイオペラ。この年旧4歳だったメイセイオペラは骨折から立ち直ると年末の桐花賞を4歳にして制覇。翌98年にはマーキュリーカップ、南部杯を、そして99年にはフェブラリーステークスを制し、岩手に留まらずダート界を代表する存在に成長していきます。
 そして99年には南関東からバンチャンプが転入してきました。99年から2000年ごろの古馬重賞はメイセイオペラが勝つかそうでなければバンチャンプが勝つ・・・という状況になり、ロイヤルハーバー自身も休養が増え、98年は一戦のみ、99年は4戦のみ。99年の青藍賞でバンチャンプの7着の結果が競走馬としてのキャリアのラストレースとなりました。


★97年桐花賞。先頭に立つメイセイオペラに外から追い上げるのがロイヤルハーバー

 97年の桐花賞でメイセイオペラの2着に迫ったのがロイヤルハーバーでした。実は単勝人気ではロイヤルハーバーの方が1番人気、メイセイオペラは2番人気。それを見るだけでも当時のロイヤルハーバーへの評価が高かった事が十分に想像できるのではないでしょうか。97年はマーキュリーカップ5着、南部杯4着。南部杯は地方馬最先着でしたし、この年のロイヤルハーバーは遠征勢を迎え撃つ岩手のエース格だった・・・と言っても過言ではないはずです。


★桂樹杯優勝時のロイヤルハーバー。父アスワン・母父ハードツービートという血統はファミコン時代のダビスタ感があって懐かしい


 結果的にはロイヤルハーバーが岩手で勝った重賞は東北サラブレッド大賞典のみ。もっとタイトルを獲る事ができる力があっただけにちょっと惜しいと思う感覚が今でも残ります。ただ、タイミングもちょっと、運が悪かったかもしれませんね。


★東北サラ大賞典、ロイヤルハーバーにまたがる草地神。若い!(当時25歳)


 ロイヤルハーバーの話が長くなった。レコードのお話です。

 「盛岡芝2400m」の条件はORO開業の96年にはまだなくて、97年になってから登場した条件です。東北サラブレッド大賞典と、その前哨戦となる特別戦「桂樹杯」の二つが芝2400mのレースとして設定されました。
 そして96年に行われたのは芝の特別戦のみだったので、東北サラブレッド大賞典が“ORO開業後最初の芝重賞”でもありました。
 ついでにちょっと脇道にそれるとですね、このレースが鞍上・草地保隆騎手の初重賞勝ちだったそうです。

 さて、芝2400mのレコードが長く残ってきたことには二つの理由があると思います。一つは「レース数」。97年はこの2レースだけ、98年は桂樹杯のみがこの距離条件でのレースに。99年に岩手県知事杯OROカップが芝2400mで新設されて桂樹杯がその前哨戦となりましたがそれも長くは続かず、2001年に芝1700mの条件が設定された事でこの両レースが1700mに短縮されて2400mのレースはいったん姿を消します。復活したのは2003年。シーズン前半にかきつばた賞(特別)-せきれい賞(重賞)が2400mで設定されて、この路線が今に続く事になります。
 2007年には秋の2400m戦として「きんもくせい賞」が新設されましたが3年目に1000mに短縮。後のOROターフスプリントへと変遷していきます。
 同じく2007年には3歳馬の芝2400m戦として「サファイア賞」が新設されています。こちらは重賞→準重賞→重賞と格付けを変えながらも今も存続していますね。
 要は“そもそものレース数が少ない”。年に二戦程度の条件、走ったら次は来年・・・となるのでは走る方もそのたびに手探り。ガンガン時計を出していこうぜ・・・とはならないでしょう。

 もう一つは“芝の状態の変化”。旧レコードが出た97年はORO開業2年目。完成から間がないこの頃の芝コースは状態が非常に良かったと言われています。芝1000mのレコードも96年に出されたものが長く破られませんでしたし、芝1600mのレコードも99年のものが今でも残っています。昔出たようなタイムはなかなか出ない・・・とずっと言われていたものです。
 芝コースは使えば痛むので、例えばJRAの競馬場がそうするように何年か毎に全て剥がして地盤から作り直して・・・ができれば、それこそ開場当時くらいに戻るのでしょうけども、盛岡ではなかなかそうもいかないですね(芝レースを2年くらい休まないといけないとか)。

 もう一つ付け加えるとしたらやはり“馬のレベル”になるでしょうか。せきれい賞に限らず初期の芝重特ではJRA未勝利とか500万下とか、そもそも初芝とかいう馬がメンバーの中心でした。今やJRA時代はオープンだとか、重賞で上位どころか優勝経験ありという馬も珍しくなくなりました。全体的なレベル、層の厚さ。これは毎年高く、厚みを増しているのは確かだと感じます。

 一方で今年は、去年もそうでしたが、時計が出る馬場になっています。少々雨が降っても時計が出る。“今の盛岡は芝適性よりもスピード優先”みたいな事を芝の解説が当たった時には良く言うんですけども、なんにせよ時計が出る。
 なので、例えば先日のオパールカップではウンが芝1700mを1分43秒6のレコードで勝ちました。馬場状態は稍重。実はその一週前のかきつばた賞でも同じ芝1700mで1分44秒0の好タイムが出ています。その時も稍重でした。
 それまでのレコードは2013年のOROカップでナターレが出した1分43秒7なのですが、良馬場で、勝ったナターレは牝馬とはいえ古馬オープン級の交流重賞で、それで出たレコードを3歳馬が稍重馬場で更新するのですから、“速い馬場”という事になりますよね。




★盛岡芝1700mの旧レコードホルダー・ナターレ(上)と、新レコードホルダー・ウン(下)

 なので、メンバーが揃ってきている・馬場も時計が出るという今年のせきれい賞の状況でなら、レコードが出ても決して不思議ではないとは思っていました。9月くらいになるとさすがに時計が落ちてきますからね。去年もそうでした。レコードが出るとしたら今、みたいな。

 さて、先ほど「長らく破られなかったレコード」が芝にはもう二つあるといいました。
 芝1000mのレコードは現在は2017年のハーベストカップでコウセンが出した57秒7ですが、旧になるレコードは1996年にカツヤマリュウホーが出した57秒8。21年にわたって君臨し続けました。


★カツヤマリュウホー/やまびこ賞優勝時。芝レコードの時も見てはいましたが写真は撮っておらず

 これも、以前は2歳戦くらいでしか使用されなかった芝1000mという条件が今は古馬の重賞も設定されているので更新は時間の問題と見られていました。
 今年も6月28日の盛岡開幕週の芝1000m、B1級戦で58秒1という高速タイムが出ています。今の時期にもし古馬の芝1000mでオープン級のレースがあったら、57秒7も破られていたかもしれません。秋口に入るOROターフスプリントではちょっと遅いかな。ハーベストカップがギリギリのタイミングかも。

 古いレコードが次々更新された今なお残るのが芝1600m、1999年にロイヤルスターが出した1分36秒2です。
 ロイヤルスターは岩手生え抜きでデビューが盛岡芝1000m。盛岡芝で10戦7勝、キャリア末期の一戦を除いて盛岡の芝では掲示板を外していないという典型的な“盛岡芝巧者”でした。1600mのせきれい賞も、2400mのOROカップも両方こなすような実力馬でしたしレコードタイムを守っている点に不思議は無いですが、果たしてこのレコードが破られる日が来るのでしょうか?


★ロイヤルスター レコードの時は写真がなかったので2000年OROカップの際

 速い時計が出る今年や昨年の芝とはいえ、こと1600mに限っては昨年の最高タイムが1分37秒2、今年ここまでのそれは1分37秒3。レコードにはまだ1秒の差があります。

 現在のレース体系ではオープン級古馬の芝戦は1700mが主流で1600mのレースは少なくなっており、古馬芝1600mの重賞は「いしがきマイラーズ」のみで、あとはOP特別がいくつか設定されるかどうか。そしていしがきマイラーズは今のところ後半戦に組まれているので高速決着の可能性は低め。
 とすると、いしがきマイラーズが前半戦に移動するあるいは通常夏場に行われる桂樹杯が1700mから1600mに短縮されるか、はたまたあるいはかつてのネイティヴハートのような2歳芝G1を狙えるような馬が地方から現れてジュニアグランプリにやってくるか。さらにはたまたいえば芝コースの全面改修が行われるか。いずれにせよいくつか条件が重ならないことには芝1600mのレコード更新は難しいのではないか・・・と思います。

 盛岡に残る“一番古いレコードタイム”はこの芝1600m・・・で、いつまでもあり続けるのかもしれません。





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最終更新日  2022年08月04日 18時25分42秒



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