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平気で嘘を付き、良心がなく、共感性もなかったりする人間って、おそらく我々の周りにもごろごろいるだろうが、こういうヤツも本人がその特性をうまく偽装して社会に適合するタイプと適合できずに反社会性を露呈させてしまうタイプがある。
人間性のある大事な感情がないということは、裏を返せは他人の感情にに左右されず冷徹かつ合理的な判断ができる面があるということなので、うまく偽装できれば会社経営者、医者や弁護士といった比較的社会的地位の高い者として前者が多く紛れ込み、偽装できない後者は連続快楽殺人犯などが多いということも言えるかもしれない。 例えば、抵抗できない気の弱い同級生や知的障碍者に対して、日常的に暴力を振るったり、大便を食べさせたりして人間としての尊厳を根幹から奪って楽しむことができるとすれば、極めてサイコパシーの高い反社会性の人格障害といってよいだろう。 そしてその反社会性の特性ゆえ、仮に犯罪行為が露呈して刑に処せられ、罪を償ったとしても、社会が何事もなかったように迎え入れることができるかと言えば、当然そうでもない。 法的な問題はクリアしていても、である。 もし、連続快楽殺人犯が罪を償った後、あなたの職場に配属され、自己紹介の時に「趣味・特技は嫌がる人を拷問にかけ、楽しみながら殺すことです。」なんて言ったら、皆耐えられないだろう。 いや、犯罪者として刑に処せられたことがなく、あなたの職場にいなかったとしても、仮に「抵抗できない人間に無理やり大便を食べさせて侮辱するビデオを見るのが好きなんだ。」なんていう人間が日銀副総裁だったら、そんな日銀副総裁なら辞めてほしいと思うに違いない(あくまでも仮の話だ)。 もちろん、その反社会性ゆえに社会が温かく迎えることが困難だとしても、サイコパシー高めの人間にだって人権があるのだから、いかなる仕事も拒まれるべきということはない。 ただ、国家的事業や国民が付託しているような何か立派な人がするべき仕事はできればご遠慮願いたいというのが社会の洗礼なのである。 だから、例えば何か個人的に作品を発表し、ファンがそれを購入したとしても、それなら大した問題にはならないだろう。 悲しいかな、この違いが判らないようだと、「お・も・て・な・し」なんてできないと思った方がいい(ではまた)。 <今夜の4曲:杏里の「悲しみがとまらない」「オリビアを聴きながら」「SUMMER CANDLES」「コットン気分」> まさかオリパラに関してこんな風に胸糞悪くなると思わなかったという人もいるだろう。せめて懐かしの名曲を聴いて気分転換をしよう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024/09/23 09:18:40 AM
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