カテゴリ:本気ででくの坊
今日は、道場にいた時のことを少し綴ろうかと思います。
やはり一番の思い出は、逃げ出したこと。 入門してすぐの頃というのは、自由奔放な学生生活とうって変わって、四六時中プライバシーの全くない世界。 更に、次から次へと事細かなルールが襲いかかり、一歩あるいただけで、うるさい!と怒鳴りあげられ、もう一歩。そこで胸ぐらを掴まれ引き摺り倒されることも、しばしば。 時代劇の城中のようなやりとりが延々と続くような感じです。 さらに睡眠時間も3時間ほどに絞り込まれ、昼間は、走り回っていますから、疲労困憊。 その年は20人の生活の内、新入りはたったの二人。 好きで選んだ道だけに、簡単に辞めるわけにはいけないのですが、もう一人は、体力的にかなりきつく、何度も逃亡未遂を起こしては、連れ戻されておりました。 入門から2ヶ月ほど経った5月下旬、耳の鼓膜が破れるトラブルに遭い、意を決して深夜、道場を逃げ出すことに。相棒には、「逃げ方が悪いから、連れ戻されるんだよ。ついてきな!」と言い、わずかな支度銭を掴むと、黒い麻衣のまま、下駄を手に抱え、畑を忍び足。おもわず、相棒に「足音、うるさいよ!逃げる気あるのか?」と注意したこともよく覚えています。 外に出れば今度は、車が来る度に、側溝に飛び込んでうつ伏せの繰り返し。ようやくタクシーを拾った時は、放心状態でした。 留年中の同級生宅を訪れ、相棒は自分の故郷へ。 いろいろ考えた末、実家に戻るのも嫌だったので、明晩の北陸方面への夜行列車のチケットを手に入れました。 次の日の夕方、友人と桂川へ出掛け、ビール片手に石を投げ続け、出るのは溜め息ばかり。 ところが100万都市京都とはいえ、たまたま車で帰宅途中の師匠が、ビールを買っている場面を目撃。 「逃げ出して嬉しそうにビールを買う奴が有るか!殺されることは無い。戻れ!」その一言で、道場に連れ戻されました。 今思うに、随分酷い言葉でありながら、感謝いたしております。 お釈迦さんの掌から逃れることは出来ませんでした。 相棒は結局よそで修行して、僧侶になりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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