カテゴリ:本気ででくの坊
最初、二日間は、それまでのリズムと違うということで、体がなんとなく重たく感じられたのですが、徐々に体が順応。 ただ、集中力を切らせば、ストンと眠りに落ちてしまいます。 三日目ぐらいになって、一緒に裏方をしていた雲水曰く、「お釈迦さんが、禅定に入って一週間といわず、三日間で悟りを開いていたらなあ」と、ぼそり。(笑) 鐘楼から臨む、本山三門。 二日おきに、住職による講義のような提唱(毒語心経)ということで、開始の合図の一つである鐘撞きを久しぶりにさせていただきました。 紅葉が、未だ残っているということで、カメラを構えた塀下の、多くのギャラリーを牽制するにも一苦労です。 禅問答をする部屋へと伸びる廊下 日に五度の参禅入室(禅問答)となり、ここに座ると、ピリピリとした緊張感が漂います。 禅問答に関しての詳細は、知識としての解釈ばかりとならぬよう、敢えて控えさせていただきます。 かつて当道場において、期間の最後までに何とか悟りを開きたいということで、南○寺三門上に、座禅していた修行僧が、最後の就寝前の木版を木槌で打つ七五三の鳴らし物を耳にするや、願果たせず、三門より身投げしたという話があり、その真摯な姿勢を伝うべく、現在に至るまで、就寝消灯前の、七五三は、全て打たずに、七の打ち流しで止めることに。 また、明治末期から、昭和初期まで勤められた住職は、臘八大攝心に際し、禅問答も含め、雲水の前向きな気持ちが感じられないということで、もう一度、攝心のやりなおしをさせたという逸話も残っています。 弊場では、八日未明の、最後の禅問答の前、スジャータが、お釈迦さんに乳粥を供養した故事に倣い、砂糖を少し落とした温かい牛乳が振る舞われるのですが、ぐっと身に染みるもの。 そして、引き続き、たらいにお湯を張り、先輩が、後輩たちの足を次々と洗っていきます。 こちらは、裏方です。 最後の禅問答が済むや、木版が鳴り、上役が全体の講評を述べた後、就寝前の諷経を終え、ようやく長い一日も終わり。 安堵感を伴っての、一週間ぶりの横臥ほど、気持ちの良いものはありません。 これで、終わりというわけではなく、ここからの一歩が大切と実感いたしました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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