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テーマ:政治について(20133)
カテゴリ:日記
小泉劇場の終焉ということで今日も多くのマスコミが押しかけていた。
時間が経つにつれ、終戦記念日という霊に静かに祈りを捧げる日であるのにもかかわらず、地上では神社の鳥居をくぐる前に一礼すらせずズカズカと報道陣がせせこましくあたりを歩き回り、空中では10機ほどのヘリが飛び回りとても霊を慰めるような雰囲気ではなくなってきた。 思えば小泉首相の5年間は首相とマスコミで作り上げていった”劇場”そのものであったように思う。 そして小泉首相が靖国参拝を公約に掲げたところから劇場は始まった。 「公約」にしたにも関わらず、靖国は「個人」心情の問題だと常に声高々と言い放ち、 国際社会に向かっては平成7年の村山談話を基本軸とした戦後60年の小泉首相のアジア・アフリカ会議(いわゆるバンドン会議)で「日本は植民地支配、侵略戦争行為を行った」と演説を行い、 第162回国会 予算委員会 第22号 平成十七年六月二日(木曜日) では東京裁判A・B・C級戦犯に掛けられた罪状をすべて受け入れ、戦争犯罪人と認めた認識の上での靖国参拝。 そして今回の靖国神社参拝後では「私は特定の方だけにお参りしているのではない」と言う。 今に始まった事ではないが言ってる事やってる事が支離滅裂である。参拝する自分自身の信念をもハッキリ相手に示すことすら出来ず、自己欺瞞をとうに通り越して国民に対して場当たり的な強弁しか出来ない日本国の政治代表者が靖国へ参拝する資格など無い。 私的に唯一評価出来る事と言えば「日本の代表者として毎年靖国へ参拝した」という「行為」に対してだけである。 それと靖国神社へ行って分かったことなのだが「靖国神社とは何なのだろう」、「遊就館とはどんな施設なのか」、「日本の戦争とはなんだったのか」ということに戦争を知らない若い世代に興味を持たせられた事だろうか。 これからの若い世代が単なる「プチ・ナショナリズム」に終わらないように自分の頭と心で考え、これからの日本を自分たちの手でどのように繁栄させていくのか国家の機軸を考える機会にしてもらいたいと思う。 その為には将来を担う子孫たちの為に日本の歴史教育が他国の干渉を受けない史実に忠実なものである事が必要である。そうでなければ同じ歴史はまた繰り返されるだろう それも果たしていつの日にそうなることやら。 いや、しかし諦めずに今に生きる自分たちもそうなる事を願い、訴え続けていかねばならないと思う。 今日の日記は良かった!賛同頂けるならばクリック応援お願いいたします!! ⇒人気blogランキングへ ⇒ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006.08.17 21:41:42
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