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慰安婦問題をめぐる日韓両政府の合意に基づき、韓国政府が元慰安婦を支援するために設立する財団が今月27日、正式に発足する。
岸田外相は25日午前、ラオスの首都ビエンチャンで、韓国の尹炳世(ユンビョンセ)外相と会談した。 両外相は、慰安婦問題を巡る昨年末の日韓合意について、誠実な実施を確認した。 会談の冒頭、岸田氏は「日韓合意以来、日韓関係は前向きに進展している。北朝鮮の核実験やミサイル発射直後も尹氏とは電話等を通じて大変円滑に意思疎通を図れた」と語った。 日韓外相会談は、慰安婦問題で合意した昨年末の会談以来、7か月ぶり。韓国政府は28日にも元慰安婦支援の財団設立を予定しており、日本政府は財団への10億円拠出で合意している。今回の会談では、資金拠出の時期などについても意見交換した。 昨年末に電撃的に日韓外相会談が開催され、ついに慰安婦問題が「最終的かつ不可逆的に解決」と合意された。 この問題は、1991年に金学順氏が「慰安婦だった」とカミングアウトして以来、常に日韓関係における「トゲ」だった。特に朴槿恵大統領は、「解決されない限り、日韓首脳会談に応じない」「国際社会に対しても訴える」というスタンスで一貫していた。日本政府としては、日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決された」としつつも、これまでもアジア女性基金などを通じて「人道的な見地」から対応をしてきたが、今度こそ「片付く」のか、という疑いが強い。 国民の間にも、今回、合意がまとまったこと自体は評価しつつも、「蒸し返し」に対する不信感がある。尹明淑はその著書「日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦」で金学順のケースを拉致として、これを強制連行の一種に分類している。 しかし、拉致なら日本人100人が拉致された可能性がある北朝鮮の政治体制こそ大問題で、韓国の慰安婦問題は時期が来れば解決されると思っていた。 韓国では日韓合意に反対する元慰安婦や、支援団体の「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」「ナヌムの家」などが財団設立に反発している。十数人の元慰安婦が財団からの支援を拒否する構えを見せている。 27日には挺対協が主催する大使館前の慰安婦像を囲んでの抗議集会が開かれ、夏休み中の中高生ら大勢が参加。財団設立反対や日本との再交渉を訴えた。 元慰安婦は李容洙(イ・ヨンス)(86)。元慰安婦でよく知られているのは最初に自ら名乗り出た金学順(キム・ハクスン)だが、平成9(1997)年に死去した。今では李が元慰安婦を代表する顔となり、海外にも精力的に出向き、問題解決を求め日本政府を批判し続けている。 村山富市政権下で元慰安婦への償いの事業を行うために設立された財団法人「女性のためのアジア平和国民基金」(略称「アジア女性基金」)からの償い金支給に、李は反対していた。 8年7月14日付朝日新聞によれば、李らは「基金は絶対に受け取れない。死ぬ前に正式な謝罪と補償を」と鳩山に訴えた。そのとき鳩山は「新しい措置がとれないか、政府にお願いしていきたい」と答えている。 その後、基金を韓国の元慰安婦61人が受け取った。首相の謝罪の手紙も添えられていた。手紙を受け取った元慰安婦の一人がこう証言している。 「手紙を読むと、昔、深い傷を負われたと、そしておわびをすると、そしてねぎらいたいとある。手紙を受け取って涙を流した」 だが、李は今も女性基金に拒否感を抱いている。 「村山は嫌いだ。慰安婦問題をまともに解決しようとするなら、あんな基金をつくるべきでなかった」 李の証言については、当初は「国民服を来た日本人の男から、ワンピースと革靴をもらってうれしくてついて行った」と話していたが、その後、「日本の軍服を着た男らが家にやってきて、男から何かとがったものを背中に突きつけられ船に乗せられて行った」と、徐々に“軍による強制連行”を主張する内容に変わってきたためか「信憑(しんぴょう)性がない」というのが定説だ。 ■韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協) 慰安婦問題を解決するため、1990年に結成された韓国の市民団体。日本政府に公式謝罪と法的賠償を求めている。在韓日本大使館前の慰安婦像設置や「戦争と女性の人権博物館」開館など反日的活動を続けている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年07月27日 22時22分35秒
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