知らないものは見ることが出来ない
今月は定例の練習が出張と重なるなど結構飛びそうなので、早速土曜に振替をしてもらった。その前に木曜の練習の体験から。最近のテーマはC&E呼吸(ラムサの学校の呼吸法)を中心に、脳が描くビジョンというところにある。タイトルに書いたことなんだけど、私たちは知らないものは見ることが出来ない。それを手にしても気づかない。J.Z.ナイトの講義ビデオでもわかりやすく説明されている。私たちが見ているものは、全て知っているものである。これを説明しようとすると長くなるので、あっさり割愛します。で、師匠が説明してくれたのは、私たちは往々にして「ない」ものを観ているということ。代表例「おかげさまで楽になりました」これは愁訴、悩み・・・etcが「ない」ことを意味している言葉である。脳の中に病気がある限り(脳の疾患と言う意味ではない)あなたが健康になる可能性は100%ない!とJ.Z.ナイトは講義で語るが、そのビデオを見てもなお「楽になりました」と言う人は、「じゃあ、脳の中から『病気を消さなくてはならない』ですね」と言うのだとか。ここにも「ない」のパターンがある。「ある」ものを観るということ。「ない」ことを求める=「ある」ものが「ない」状態になる(消す)これは艱難辛苦を克服する系の洗脳よりも強い洗脳として我々の中にあるようだ。そんな話を聞き、納得した後、練習をした。イメージを描く練習。私はアイマスクをし、師匠が誘導する。私はその指示に従って、ひたすら描くことをする。といっても単純に数字を書くというだけなのだが。イメージした黒板に、指定された色のチョークで数字を書いていき、消す。その繰り返しなのだ。実際に描けなくても構わない。実際、私は観えてきたわけでもない。ただ不思議なことに感じることは出来る。その訓練が終わって感想などを述べているときに、私は無意識に口にした。「補色を見る練習とかやっておきます」はい。私は色が見えないことを何とかしようと思ったのです。「ない」ものにフォーカスしていたわけです。恐ろしいですねぇ・・・これほどとは。私は自分が感じたものを大事にすればよかったのです。ただそれで充分だったと。「ある」ものにフォーカスしてれば。引き寄せの法則などで豊かさの源泉に繋がるなんてことを言います。しかし豊かさの源泉を知らない限り、それを観ることはできません。観ることができない限り、たとえそれが自分のすぐ近くにあっても気づきません。未知を既知にする我々は本来全てを知っている存在なのですが、多くのことを忘れてここにやってきます。故にこのことが我々共通の人生課題なのです。どんな方法でもいいから未知を既知にする(思い出す)ことなんでしょう。知らないものは見ることができない。逆に言えば、自分の見ているものが自分の知っていることなんです。示神さんの奥様は、視力を失っておられます。しかし、彼女は彼女が知っていることを彼女の人生劇場で観ています。そして彼女の知っていることを観て、描くこともできます。それは音を通じて。彼女の紡ぎ出した音を聴けば、例えばSEでもいいでしょう。彼女が何を知っているのかをうかがい知ることが出来ます。彼女は荘厳な世界を知っており、観ていることがわかります。振り返って自分の人生劇場を眺めたとき・・・自分が知っていることはこんなことかと思います。崖っぷちにいることに気づかなくてはならないときです。「ない」ことにフォーカスしている限り、自分には未来はないように感じます。全ては自分次第。土曜の振替練習での体験は次回。