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カテゴリ:読書・映画・演劇・音楽
実家に行った時、書棚をあさっていたら養老孟司の「死の壁」をみつけた。
時間がなくて前半部分のみ斜め読み。続きは次回かな。 解剖学者である著者は数多くの死体と向かい合っている。 なぜ、人を殺してはいけないか、ということを子供に問われて 明快に答えられる大人は少ないと思うけれど、 著者は単純明快に「後戻りできないから」だという。 「蚊」という生命ひとつとってみても、 この人間が作り出せない複雑な生命体を いったん殺してしまったら二度と作り出せない。 同じ飛ぶという点で共通してるスペースシャトルは作れるが 「蚊」を作るのは不可能。。 このように後戻り出来ないから人を殺してはいけないという。 これ以上明快な答えはないかもしれない。 また著者によると「死」には一人称の死、二人称の死、三人称の死があるという。 三人称の死とは、文字通り第三者の死。 二人称の死とは、身近な家族や友人の死。 ここで交通事故の犠牲者○人が、自分の身内だったりすると 身を切られる思いの二人称の死となる。。。。 一人称の死は誰も体験できない。 自分が死ぬところを見ることは不可能だし、 死んだ自分を認識することも不可能。 だから死ぬことは特別怖いことではないという。 普段から交番の横の掲示板に掲げられた今日の交通事故数、 太平洋戦争で亡くなった310万人という数、 '85年の日航機事故の犠牲者の数、 テロの犠牲者、 イラク戦争での死者、 これらはみな「数」としてしか表されないことに いつも違和感を抱いていたけれど、 こういう考え方で整理できるのだと思った。。 8月は「死」や亡くなった方に対して 思いをはせる場面が多い。 生かされていると感じることも多い。。 また自殺サイトの問題、小学生にリストカットする人数が 増えてることなど考えさせられることも多い。 違う次元の問題かも知れないけれど、 二人称の死を体験していないから、 簡単に自分を傷つけたり死んでしまったりもするんだろうか。。 *また続きを読みに実家に行かなきゃ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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