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カテゴリ:交流
この2週間で3人の方の命を見送った。
近くの親戚は、持病こそ抱えていたが、そこそこ元気だった。 体調が悪いので医者に行こうかと言っていた矢先、家人の目の前で倒れた。 ある意味、幸せな逝き方だったかも知れない。 しかし、葬儀では残された親族の一部が(金銭の絡まない)些細なことで仲たがい。 何でも遠慮なく言えるきょうだいだからこそ、とも思うが、 故人はあの世で苦笑いしているに違いない。 二人目は、なんとも言葉にならないほど悲しい出来事だった。 まだ幼いこの子の葬儀には400人もの参列者があった。 親の知り合いではあるが、亡くなった彼を仲間と認める人たちが、 手作りのお悔やみの集まりを催した。 今でも亡くなったことを信じたくない気持ちだが、 たった3年間にこれだけ多くの人に笑顔を振りまき、 幸せを与えて生き切った彼。 両親はこれからもこの子の成長とともに歩んで行きたいと言った。 「今日はこの子の門出」 そして幼子を送り出したその夜、ある人が自ら命を絶った。 ずっと苦しんでいて、ついに妻と幼い子を残して旅立ってしまった。 本人とは面識がないが、優しいいいヤツだったという。 やっとゆっくり休めると思っているのだろうか。 周りからのサポートもあったはずなのに、残念。 残された妻子のことがとても心配。 人は誕生の瞬間から死に向かって歩いていくが、 普段はそれを忘れて生きている。 生き方は逝き方。 合掌 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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